2周年の徒然note
9月23日秋分の日、わたしのnote初投稿から2年が過ぎた。
昨年の1周年のときには67件の投稿だったけれど、2年目の1年は49件。ずいぶんと減った。誕生石シリーズの投稿も、いつしか翌月の更新に落ち着いてしまった。わたしには毎週の投稿はちょっとしんどかったか。
いや、字数にすればけっして減っているわけではなさそうだ。1年前には1エントリあたり3000〜4000字ぐらいにしたいと書いていたけれど、最近は5000字を下まわることはほとんどない。頻度は落ちても文量としてはむしろ増えているかもしれない。
自分の執筆スタイルについて不敵にも「『徒然草』に近い」などと書いていた。とりとめのないことをそこはかとなく書きつけるのはいまも変わらず。わたしは仕事では固めの文章を書いている。だからなのかnoteはずっと気楽に書けて、良い気分転換になっている。
読者を獲得するためには短くテンポのよい平易な表現にすべし、といった助言を目にすることがある。
簡潔な表現はわたしも心がけているつもり。しかし内容が薄くなってしまってはいけない。せっかく語彙の豊富な日本語をつかっているのだから、難解にならない程度には豊かな表現を心がけたい。そうは言っても、簡潔にと思いながらも書きたいことを書いていたらついつい長くなってしまうジレンマ。
まる2年。
マイペース更新の長文にもかかわらず、それなりに多くのかたに読んでもらえるようになった。とはいえ、わたしのフォロワー数はまだ2桁。数字のうえでは影響力なんてまったくないマイナーアカウントだ。しかしマイナーだからこそ気楽に書けているのだとも思う。もちろん多くのかたに読んでもらえたら嬉しいけれど、これからもメジャーアカウントのような気苦労なく続けられれば良いかなと思っている。
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半年ぐらい前のこと。お昼休みに職場近くの公園で本を読んでいたら、見知らぬ女性から声をかけられた。そのかたはわたしのnoteの読者だった。
マイナーアカウントゆえ、直接の知人・友人以外で読者さんと話す機会があろうとは考えてもみなかった。
彼女はわたしとおなじ宝石業界にいらっしゃるとのこと。東京の宝石業界は御徒町界隈に一極集中している。なるほど直接出会う機会があるわけだ。講演会をとおしてわたしのことを知り、twitter経由でわたしのnoteにたどり着いたらしい。noteで書いている宝石にまつわるエントリーはもちろん、ほかの記事も楽しみにしてくださっている。とても嬉しい。
とくに誕生石シリーズは、ほかのどこでも読めない内容だと褒めていただいた。保存用に書籍化してほしいとも言われた。お世辞だとしてもありがたいことだけど、出版の常識で考えればとても部数が見込めるコンテンツではない。文筆業の実績も乏しいので、こうした内容は自費出版が関の山だ。
「そう言っていただけるのはとってもありがたいのですが、書籍化は売れる目処がつかないことにはキビシイでしょうねぇ・・・(書籍化できるように)ぜひお知り合いにも宣伝してください」
こんな感じで会話が終わったように思う。彼女に紹介されて読みに来てくれたかたはいるだろうか。いてくれると嬉しいな。
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最初の投稿と1周年の投稿でともに書いているように、わたしがnoteをはじめたのは誕生日にたてた目標だったから。そして2年目には、曖昧ながらビジュアル主体のなにかをしたいと考えていた。
ずっと曖昧なまま1年が過ぎてしまった。ビジュアル(=視覚的な演出)として言えるとしたら、昨年末の個展についてのnoteぐらいか。いやいや、実際の個展について書いただけで、特にnoteの機能と連携させてなにかを生み出したわけではない。その点では、目標達成にはほど遠い。
先月のAIお絵かきのnoteはビジュアル展開につながりそうなnoteだったかもしれない。シュルレアリスムとの類似性を考えつつ、Midjourneyに絵を自動生成させてみた。それをnoteに載せ、”超現実”について考えた内容。
noteはどうしても文章がメインになるからむつかしい。noteで自動記述みたいなことをやり、それをMidjourneyなどのAIをかませて画像化してみるというのならば、ビジュアル・クリエイティブと呼んでもよさそうだ。
この目標は、今後もゆっくり時間をかけてすすめることになりそうな気がする。
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誕生日といえば、このところとてもひっそりと誕生日を過ごしている。
今年の誕生日、休暇をとって運転免許の更新に出かけた。妻も休みの日だったので、いっしょに近くのショッピングモールにでかけてランチ。評判のパティサリーでケーキを買って帰った。ほんのちょっとだけど特別感のある一日。よくある庶民的な誕生日の一幕かと思う。
さっき「とてもひっそりと」と書いたのは、実際の過ごしかたではなくネット上でのこと。ここ数年、わたしはソーシャルメディアで誕生日を非公開にしている。そのおかげで煩わしい通知からは解放された。
善意のお祝いメッセージに対して「煩わしい」なんて書くと、みなさんからお叱りを受けそうだ。
もちろん、お祝いの気持ちを伝えてもらえるのは素直に嬉しい。実際にわたしの誕生日を覚えていて連絡をくれる友人もいるので、そうした友人からの連絡はとても嬉しいしありがたい。
しかしソーシャルメディアのフレンドが何百人にもなると、まったく面識のないフレンドからもどんどん送られてくるのだ。それだけならまだしも、わたしの場合は海外の宝石ディーラーなどとも繋がっている。あまつさえダイヤを買えサファイヤを買えとセールストークがついてくることがある。
これにはほんとうに辟易した。だいたいが簡単に「Thank you!」と返事するだけで終わるのだけど、なかにはしつこくセールスを仕掛けてくる者もいる。わたしの場合、所属をあきらかにしていることもあって、無下にブロックしたり断ったりするのにも躊躇してしまう。逆恨みで悪評を流されでもしたら最悪だ。
わたしが友人のアカウントに誕生日祝いのメッセージを書き込んだとき、あろうことかその返信欄でセールスを仕掛けられたことがあった。セールス書き込みの主はわたしとフレンド登録をかわしている宝石ディーラーだった。面識はない。わたしの書き込みがきっかけで、その友人には不愉快な思いをさせてしまった。誕生日だというのに。
それ以来、わたしはソーシャルメディアで自分の誕生日だけでなく知人・友人のアカウントにも誕生日のお祝いコメントを残すことはなくなった。付き合いの悪いやつだと思われても、しつこい売り込みがついてくるよりはまだマシだ。特殊な例かもしれないけれど、消極的な対応を取らざるを得ないケースなんじゃないかと思う。
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1年前、いくつかの記事をまとめたマガジンを紹介したあと、わたしはこのように書いていた。
この1年で増やしたマガジンは次のふたつだけ。
そうそう、我が家には4匹の猫がいる。昨年の夏、保護施設から子猫2匹を招き入れた。
最近書いていないけど、あいかわらず先住猫との同居はうまくゆかず奮闘しつづけている。おおきく育った子猫たちについても書かなくては。
宝石業界の読者のかたから書籍化してほしいと言われた誕生石シリーズ。現在2周目。昨年末に日本市場では誕生石が10種類も追加された。これ幸いにと、あらたにくわわった誕生石についても書いている。
鑑別に従事する視点での説明はもちろんのこと、文学やら音楽やらと手当たり次第に連想ゲームの対象をひろげて書いている。その点が「ほかでは読めない」と言ってもらえた所以か。このスタイルはわたしも書きやすいのでつづけてゆくつもり。
次の1年の目標?
noteと連動できるかどうかはわからないけれど、あらたな絵画表現に挑戦したいとは思っている。
わたしはずっと具象絵画をやっている。だけど、たびたび美術関連の記事でも書いているように、めざしているのは具象のむこう側にあるなにか。写実絵画の表面的な”現実”ではない、”深み”につながるもっと普遍的ななにか。先月のAI絵画をはじめ幾度か触れているけれど、現実に連続した”超現実”をさりげなく表現したいと考えている。
超現実すなわちシュルレアリスム。アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を著してからもうすぐ100年。わたしなりの解釈と表現ができれば最高だ。
noteでは、先日はじめて動画の共有をやってみた。いや、動画の埋め込みはこれまでもやっていたけれど、投稿時に”動画”カテゴリで作成したのはこれが初めて。
せっかくだから、わたしの好きな音楽でYouTubeなんかで視聴できるものを共有するのは楽しそうだ。これもせめて月に一度ぐらいのペースでやってみようかと考えている。
そういうわけで、2周年のnoteも結局だらだらと書いてしまった。また1年、どうぞよろしくお願いします。