マガジンのカバー画像

子どもたちとのこと

25
子どもたちとの学びの日々についてのまとめです。
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

ホンモノの生のまなびが人生をつくる #変化を常に#まなびの人生設計図

朝5時30分、私の事務所もある地域人材創造拠点つくラッセルに、次男の息子といる。小学1年生の息子は、5月から地域の小学校にいかない選択をした。上の2人は通っていることもあり、どこかで行くかなぁ~と思っていたが、彼は彼、そのまま行かないので、彼自身の学びあふれる人生をどうサポートしていくのかに思考を切りかえて、毎日を過ごすことにした。 いわゆる不登校児ではあるが元気いっぱいに過ごしている。最近は、新聞配達のあとに私の事務時間にあわせて、朝活として息子は一緒に算数ドリルをしてい

うまくではなく、ベストを尽くす

人間だものシリーズ(笑) 子どもたちのこと、今、こうしたら彼らの未来にとっていいのかな、こんなことしてほしいなと、ついつい考えがち。 うまくやっているように見せたいのは、自分のことじゃないのか?誰かの評価を気にしていないか?ちゃんと一人の人間としてみているか? 自分のことでも、子育てのことでも、「うまく」は誰目線か? 後々のことをついつい先回りしたり、他人の評価を気にするのは、人間だものしょうがないけれども、そこはぐっと、こらえて、今、自分ができる最大限のことをする。

役割がある いるだけでいい

お祭りネタは一旦今日が最後。私が住む築羽自地区旭八幡町にある八幡神社で郷社まつりが行われた。かつては今の自治区の範囲の何倍もの集落の人達が夜中から山車をひき集まり、テキ屋さんもたくさん出て、人でごったがえす、それは想像できないほどの賑わいだったそうです。 まぁ、それはおいておいて、 過疎化、コロナ禍をへて、なんとか神事以外も復活したけれども、お囃子、余興も、風前の灯火。10年前になんとかつないだ笛の吹き手、廃校で途絶えた子ども太鼓の再開、担い手の高齢化、なかなか人数が少な

自分で枠を狭めない。 #変化を常に#まなびの人生設計図

高校生の頃、球技大会委員会の委員長をしていた頃、なにかのミーティングの中で、「それは高校的には難しいよね」というような発言を自分がした。 そして、誰かの意見をさえぎった。 そのとき、体育の先生から、「おいおい、誰もダメだなんて言ってないぞ、自分から枠を狭めるな。」と怒られたことを覚えている。小学1年生から大学生まで、級長をやらなかった学年はないくらい優等生気質な自分としては、結構ショックだった反面、「あっ、いいんだ!」とひらきなおり自由の翼を手に入れた(笑) 卒業生代表

デジタルデトックス

毎日、色々なジャンルのことをこなしていることもあり、24時間365日連絡がくることもあり、あれもこれもとなって、ついつい家に帰ってもスマホでやりとりしていたりする。 けど、それどうなん?と嫁さんに言われ、ちょっと反発してみたものの、それもそうだなと、昨日から18時から20時という我が家のゴールデンタイムにはスマホをさわらないことにした。 元々、自宅にはテレビもネットもひいてなく、スマホの微弱電波でなんとか簡単なことならやれるくらい。だから家にいるときは子どもたちはそれぞれ

食の記憶は、帰る場所を思い出させてくれる

運動会の予備日で給食がないということで朝から4つお弁当をつくる。学校いかない子も食べたいのでいずれにしても同じ数(笑) 我が家では弁当づくりは父ちゃんの役割。毎日というわけでないので、そんなに悩まず楽しくつくる。  自分が高校生のときに毎日当たり前のように母親につくってもらった弁当を思い出す。2限目おわって10時30分に食べていたな(笑)ありがたいことだったと思う。 帰る場所がある。子どもにも大人にも生きていく上でとても大切なありがたいことだと思う。食事はそんなことを思

リクエストご飯 #変化を常に#まなびの人生設計図

我が家では普段は母ちゃんがご飯をつくるけど、リクエストご飯は父ちゃんがつくる。 ほぼ旭にくるまで調理をしたことはなかった。実家では鉄板焼きメニューとか土曜日の夜は父親がつくっていたのでそんなことを思い出しているのかもしれない。 地域には素材があふれている、嫁さんの畑で季節ごとに野菜ができる、近所のばぁちゃんたちからもたくさんいただく、野山でにょきにょきはえてくる山菜たち、素材が必要にせまってくる(笑) あとは山里合唱団こだまのまかないご飯と、地域密着型デイサービスあんじ

ちょっと年上の先輩の存在 #変化を常に#まなびの人生設計図

21 歳で起業してから、本当にたくさんの人たちにお世話になり、不義理もしたり、助けてもらったり、騙されたり、、、うまくいったことより、うまくいかないときのほうが多かった。 どちらかというと、年齢の離れた年上のかたから支援していただいたことが多かった。期待もおおきく、おおきな期待に戸惑いと、焦り、も多かった。 先日ある人と話をしていたときに、会社にも地域にも40代、50代の頼りになる衆が本当にいないのだという。私たちの世代は、就職氷河期時代に社会にでる時期と重なっていた。最

12歳を祝う 体も、お腹も、知的好奇心も満たす北海道への旅 <1~3日目>

長男の12歳の節目に彼の念願だった北海道へ3泊4日で旅をしました。 2泊は6人乗れるキャンピングカーをかりて、1泊は友人の実家に泊めてもらう。旅費は今年分の児童手当の半分を使わせてもらったありがたい。旅は、子どもたちひとりひとりが随分と成長していることにあらためて感じさせてくれるますね。 北海道に行く前に少し時間ができたので、中部国際空港から出発する前に、美浜の海を満喫♪ 波打ち際とビーチコーミングが我が家の定番のアクティビティ。存分に楽しむ。 久しぶりの飛行機に乗り、

12歳を祝う 体も、お腹も、知的好奇心も満たす北海道への旅 <4日目>

からの続き 4日目は、札幌周辺をめぐる。北海道神宮に挨拶にいく。北海道神宮は、明治の北海道開拓の際に鎮祭されたそうです。縄文から続く、北海道の人の営みが今へつながっていく連続性と不連続性を感じる、もっと知りたいと思う参拝になりました。 続いて、北海道大学へ さっそくソフトクリームの誘惑に負けつつ、広々としたキャンパス散策に。新しく建てられた建物も、キャンパスと自然によくなじむデザインで、余白のスペースもたっぷり。 北海道大学総合博物館 資料点数も展示方法も圧巻で、子ども

楽しいを選ぶにどう向き合うか 学校ではない毎日の過ごしかた

2年生になった次男。1年生の5月から学校にほぼ行っていないので、明るい不登校生活は、ちょうど1年になる。学年もかわり、担任の先生もかわり、新しい雰囲気でたまには学校にいってもいいかなとなるかなと思っていた4月。特に最初からナチュラルで恐れも緊張もあまりないので、一度、新しい担任の先生と話をしにいったあともまた話をしましょうでひとまず終わる。僕は行けなかったので、嫁さんと次男で学校へいった。 「楽しいを選ぶ」 遊ぶことも、学ぶことも楽しい。そんな姿にいつも自分の琴線にふれる。

つながるものとつながらないもののその先に

夏祭りの創作太鼓に引き続き、秋の郷社祭りにむけてのお囃子太鼓の練習を毎週土曜日にはじめた。 私たちの住む築羽自治区には、旭八幡神社という神社がある。ここでは、各集落のお祭りとは別に郷社祭りが催される。つい数十年前までは、築羽自治区以外にも、今の区分でいくとお隣の自治区などかなり広域から花車があつまり、屋台もたくさんでて、それはそれは人でごったがえしていたお祭りだったようだ。 私たちの自治区では、もう各集落でお囃子太鼓をだすところはほぼなくなってしまい、郷社でもコロナの経過

自分たちの生まれ育った地域は未来へ続いていかないかもしれない。 そう思わせないだけで価値がある。

今年はお祭りネタだけでいくつも書いていますが(笑)これで一旦区切りです。 9年前、もう笛吹く人がおらんでやれんわ。という声がぞくぞくとあがり、もうやめになりそうになったお囃子太鼓。もう各集落ではほとんどお囃子太鼓をやらなくなってきていて旭八幡郷社祭りのときだけはなんとか続いてきたけれども、そもそも各集落でしか練習してこなかったので風前の灯火に。 近辺のお囃子太鼓は口伝の違いがあるけれども築羽の伯母沢流なのに。。。 じゃぁみんなでやればいいじゃんと、有志で伯母沢流笛太鼓練習

産まれると死ぬがある暮らしをとなりに

祖母の告別式、火葬、骨上げ、子どもたちも一緒に過ごしました。これまでも、集落のじぃちゃん、ばぁちゃんのお通夜や葬式にもできる限り子どもたちも連れていっている。 じいちゃんばぁちゃん子で産まれ育った自分。山村に移住して核家族で暮らしているけれども、地域のじぃちゃん、ばぁちゃんにも子どもたちが可愛がられて暮らさせてもらっていること有り難く思う。 長男は里帰りで産まれて旭の家に、下3人は岡崎の吉村医院で家族みんなで見守るなかで産まれ、それぞれ一つ上の兄弟と父ちゃんでへその緒を切ら