ホンモノの生のまなびが人生をつくる #変化を常に#まなびの人生設計図
朝5時30分、私の事務所もある地域人材創造拠点つくラッセルに、次男の息子といる。小学1年生の息子は、5月から地域の小学校にいかない選択をした。上の2人は通っていることもあり、どこかで行くかなぁ~と思っていたが、彼は彼、そのまま行かないので、彼自身の学びあふれる人生をどうサポートしていくのかに思考を切りかえて、毎日を過ごすことにした。
いわゆる不登校児ではあるが元気いっぱいに過ごしている。最近は、新聞配達のあとに私の事務時間にあわせて、朝活として息子は一緒に算数ドリルをしている。昼間は、つくラッセルや地域密着型デイサービスあんじゃないの職場についてきたり、妻と畑をしたり、そのあたりを飛び回ったりしている。大人たち、兄弟たち、仲間たちとの関わり合いを大切に過ごせるように心がけている。
ひるがえって私たち大人や地域のことを考えてみる。かつては、学校で学んだことをいかして、就職して、仕事をして、老後を迎える、というありかたであったが、今では、たった十数年間の学校の学びに頼って人生設計をする時代は終わりを迎えつつある。
人生100年時代と考えてみると、その時々にあわせて常に変化していく人生、それを支える学びのありかたが求められている。勤めていても、事業をしていても、地域活動においても、境目があいまいになりながら、「さて、どう生きていくのか。幸せに生きるとは。」と問いながら暮らすということである。
どう生きていくなんて大層なことを、という声が聞こえてくる。現代はSNSをはじめインターネット上に、無数の二次、三次、四次情報、、、が飛び交う。情報が多いからこそ、判断をする、変化をするのは難しいと感じるかもしれない。
子どもたちの行動に視線をおとしてみると、大地を裸足でけりあげて、人とガチンコの対話をして、自分の狭い世界を少しでも外へ広げようとしているように見える。自然に対峙する中で、自分の力ではなんともならないことも学ぶ、産まれると死ぬがすぐ目の前にあり生きることを学んでいく。生の一次情報が彼らを次の学びへいざなう。大層な言葉を並べても、生で感じた経験に勝るものはない。算数ドリルと生の情報といったり来たりする中で、なにかを得て、なにかを得つづけていくことにも慣れていくのではないだろうか。はたらくとは、社会のなかでさまざまな関係性の中で役割を果たすということでもある。学ぶこととはたらくことを行ったり来たりしながら、人生を豊かにしていくことでもある。
先日、旭に学びのインターンシップにきてくれたある大学生が、ふとしたタイミングで子どもたちに向けて「田舎で育った経験は将来、宝になる」と話をしてくれた。学び多き若者たちに幸多き未来がおとずれることを願わずにはいられない。
2022年9月9日 新三河タイムズ持論異論 寄稿文改
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