旅|カタール|4
視界の先にコンテナの白い扉があった。浴室から漏れた灯りがそこに反射していた。薄皮のような疲労が頭にこびりつく。でも、ワールドカップが僕を待ち受ける。四年が経過しても、その興奮は同じ熱を放ち、それと同時に異なる趣を湛える。熱の芯は冷めず、炎のゆらめきが穏やかになったようだ。日本対コスタリカ。僕の日常に活力と希望をもたらし続けた一戦。半年以上をかけて定めた目的の地である、アフメド・ビン=アリー・スタジアムへと向かう。
コンテナから足を踏み出すと、世界は白く染まっていた。しみや塵の一つも見当たらない、完璧な青空が頭上に広がる。飛行機がジェット音とともにその空を切り裂いてゆく。湿り気のない陽光を全身で浴びた。熱される腕を見つめながら、僕はカタールにいることを実感する。
すべてが穏やかだった。フリーゾーン駅から乗車したドーハメトロの車内も、車窓を流れるクリーム色を基調とした街並みも。そのすべてが太陽のような白い輝きを放っていた。風が滑らかな温もりを運び、それがすべての瞬間で僕を歓迎してくれているかのような感覚を覚える。
過去を振り返れば、この試合は楽園のような幸福感で包まれていた気がする。ワールドカップでありながら、すぐ手の届く場所にあるような感覚。胸は高鳴りながらも、心臓の鼓動を感じるような緊張感を僕は持っていなかった。日本の勝利を期待しながら、安全な場所から試合を純粋に楽しむことができる。それは大方の予想を裏切る形でドイツに勝利した影響が大きいのだろう。そんな状況でこの日を迎えたいと願いながらも、希望は蒸発するように消えてばかりいた。
しかし、その希望が消えることはなかった。その肯定的な思いをこの試合は汲んでいる。初戦から変更されたチーム編成。それはゴールを奪えないまでも、コスタリカの体力と気力を奪う術のように感じられた。ドイツ戦で起用されなかった選手たちを起用することは、チームの士気を維持し、一体感を高める策のように映った。日本にはコスタリカの組織を切り崩せる伊東純也、久保建英、三笘薫といった選手たちが控えている。リスクはあれど、それを上回る期待で胸はいっぱいだった。
変化の乏しい試合を見つめながら、思いにも影が差していたのかもしれない。ゴールへの渇望は時間の経過とともに重みを増す。そして、眼下で決まったコスタリカの先制点は針のように、風船のように膨らんだ渇望に痛烈な一撃を加えた。その瞬間を昨日のことのように覚えている。ボールはゆっくりと弧を描きながら、ゴールへと吸い込まれていった。呆然とした。昼夜が逆転するかのようだった。その敗戦は僕をその場に釘づけにした。特に予定はなく、急いで退場する必要がなかったのも事実だ。しかし、起こったばかりの事実を身体が消化できないでいた。
試合が始まる前と後で、世界の空気は換気されたかのようだった。それはライヤーンの空に照る夕日のせいばかりではないだろう。ワールドカップ。それは携わるすべての人々に物語と教訓を授ける。観客もまた、成熟と成長の機会を得る。敗れはしたが、日本のワールドカップは生きている。