旅|カタール|2
その日、東京は朝から雨が降り続いていた。出発の日。四年前もそうだった。雨に濡れることを想像しながら身支度を整えた。何気なく、窓外に視線を送る。鈍色の空から落ちるものは何もない。離れた場所から背後の窓を見やった。レースカーテンが黄色く染まっていた。視界は開き、道も開いた。モーゼを想像してしまう自分におかしみを覚えた。
成田へ向けて地下を駆け抜けていく。新橋、日本橋、東日本橋。記憶にはそれらの地名が刻まれていた。青砥だっただろうか。息継ぎを楽しむ魚のように、紅葉に染まった風景を体内に取り込む。街から街へ。街から森へ。旅の前触れを味わった。
成田の気配には独特な重みが流れている。それは何十年も人々を送り、出迎えてきた名残のようなものなのだろうか。薄い灰色の膜が全体を覆ったようにも映る。保安検査を通過し、出国手続きも難なく終える。食事とコーヒーで出発までの時間を埋めた。身体とともに心のピントをカタールへと合わせる。搭乗ゲートの前でしか味わうことのできない、そんな時間が僕は好きだ。
東京からアブダビ。アブダビからドーハへ。機内の座席で時間や空気の圧を受け止めながら、気持ちの満干とも呼べる移ろいに身を任せる。エティハド航空、EY871便の機内照明に眼を奪われた。アイボリー。ピンク。パープル。それらの色が織り成す色彩は中東の風に吹かれたシルクと化し、僕の心と身体を包み込む。中東の抱擁に身を寄せ、ワールドカップを再び体験することの幸福感が身体の奥底から全身へと広がっていく。両眼からじんわりと涙が漏れる。手に取ったハイネケンのせいかもしれない。