松尾友雪〈Yusetsu Matsuo〉
「詩 その他」から分離して、詩のテクスト情報を掲載します。
分類出来ないものをこの項目に並べる事にしました。(2020/10/23)
写真を始めようかと思っています
松尾が書いたアートライティングを載せる
短歌と俳句
晴れた日にはイマジネーションが欠落するから よく喋る貝の独り言を 推敲してコーヒーを淹れる。 肥満する自意識と四肢が 窮屈そうに文字を探したが 思い出があり過ぎて 何を書きたいのかわからなくなった。 人生にわからない事があっても いつか理解出来るものだと思っていた。 肺の半分で詩を書き残り半分で削除する。 孤独に慣れたという 嘘つきの私には コンセプトが欠けている。 正しい日本語からこぼれ落ちてゆく 思考が 沈んでしまわないように 眠るので精一杯 運動不足の情熱は排水溝に
芥子の花ひっそりと思い出す。 この詠う子宮に 押し出される前の ヒソヒソと泳ぎ出した魚は 束縛の中に眠るだけで 抵抗は細やかな呼吸だ 微睡の中、光と影が響き合う 「煙れ、意味を破壊した発想よ」 月の泡腫れ上がる体が 詩の糸で記憶に塞がれている。 剥離する途端、音もなく追いかける 斜めの涙が溶けるから 砂濡らす私は 泳いでいる穴だ。 追いついてくる針を止めて 屈折して広がり詩詠う 眠りは冷蔵庫で性交をする。
最近ニューロセクシズムという言葉を学んだ。これは現代にある差別の一つだ。 かなり前に、私は黒川伊保子氏の新書を勧められ、それをつい鵜呑みにしたような発言をしてしまった。勧めてくれた人もそれなりの親切心で、「こういう事実があるよ」的な気持ちだったのだろう。私も男性と女性で脳の機能に差があるという説を信じていた。 黒川氏の著書の内容は男性脳女性脳云々というものだ。ただ、これには科学的な根拠はない。簡単にいえば擬似科学を根拠とした差別意識である。本来多様な差異があるにも拘らす
長い夏が過ぎ去り風に含まれる短い秋が雲を千切る。厭世的な芸術至上主義者がタバコをふかして斜めになった建築物の内部に入って行く。何色を求めて空は赤く染まるのだろう?月は自他の境界が曖昧で自分を恒星と勘違いする。だから時に美しい君が留学をすると寂しくなるから、コロナになれば良いと祈った。呪いを解く物語がないなら誰かを呪う物語を書きたい。他人をどうしても許せないのなら誰かを罰する詩を書けば良い。惑星はゆるく劣化していて醜悪な秋が街を満たして行く。
何か小説を書きたく、悶々としています
物語は呪いを解くシステムになり、同時に呪いを作る生贄を求める。
やあ、久しぶり。 世の中は写真にあふれている。人が日常を切り出して共有する時、写真は手軽なエッセンスだ。それを可能にしているのはスマホだろう。私達は特に考えることなく日常を撮影し、それを選択的にSNSにアップする。だからという訳ではないが、潜在的には誰もが写真について語れる筈だ。けれど、同時に写真について殆どの人は考えていないとも云える。何故なら写真家の名前を殆ど知らないからだ。技術の進歩とそこに関わってきた作家について知らない、けれど技術の恩恵は受けているのだ。 例えば
箴言(シンゲン)とはアフォリズムのことである。有名なものは芥川龍之介の「侏儒の言葉」などである。 この評論ではSNSでの短いコメントと、山本夏彦、エリック・ホッファー、モンテーニュなどを比較している。 確かに、アフォリズムと比較するとX(旧Twitter)などのポストには何か根本的な違いがあるように思える。私はアフォリズム詩を多く好んで読む。ルネ・シャールなどをよく読んだ。そこには決定的な違いがある。それは純粋詩のようなものとの根本的な違いではないだろうか?伊藤亜紗著『ヴ
今回、颶vol.2の感想を書いてみようと思う。 田村美奈作「虚像は軈て(やがて)」は奇妙な構造を持った詩作品だ。序文にあたるものが二つあり、(ひとつ〜むっつ)の章がある。それぞれが独立した作品であるが、一連の流れに読める。 作者曰く「官能と分断」をテーマとした作品である。 最初に読み始めて感じることは、文の表象感と漢字のニュアンスに絶妙な差異があるところだ。「おちて」と「あげて」の対比、「往く」と「逝く」の対比は官能的であり分断的だ。言葉の端端にテーマを滲ませている。
この街にあるいくつもの孤独な睡眠が並べられたドミノのように倒れて行けば、爽快な目覚めになるに違いない。「詩は歌詞ではないから鼻歌にはなれないのさ」と巻貝が云った。不安定な記憶に課せられた秩序が綺麗に崩壊したら詩は正常に認識されるだろうか?分断されたスクランブル交差点、スマホを掲げる外国人観光客とタバコを吸っている浮浪者をカメラが盗み撮り、夜空は抽象画のようだ。人それぞれだから言い争いなんて無意味だ。けれどすれ違う人々は不満を掲げて今日も平行に眠る。あの日売りさばいた良心の欠片
炭酸水に時計草を溶かしてしまおう。無数のエモい言葉。感動と感謝と奇跡も植物と一緒にアイスティーに混ぜよう。そうやって毎日を誤魔化しながら筋肉痛を堪えるのだ。君の欺瞞で植物が萎えてきたら書き溜めた日記を燃やして肥料にするよ。猥褻な言葉や卑猥な日常が、真っ赤な余白と化学反応を起こして憎しみの糧になれば私達の会話にも少しは意味が芽生えるのかも知れない。君はデリカシーに欠け、私は秘密がなさすぎる。悪は凡庸で有り触れているから、君は炭酸水を飲み干していつものように偽善を吹いて踊るだろう
君を求めて、思想のないポートレートを撮る。ぎこちない笑顔をデータの上に閉じ込めても思い出には届かない。私の中の主人公性は冷却される。「君」と「私」で出来た狭い詩の世界で妙に冷め切った三人称の影が牢獄の外へと逃げ出そうとした。私は影を閉じ込めようとして窓で首をちょん切る。窓には二つの月があって、一つは空中に浮かんでいて一つは窓にあるシミだ。君は見立ての力で月を飲み干そうとして、私はシミを拭き取って眠りについた。何かを成し遂げたいという呪い。偉業を残したいという虚勢の主人公になる
5月19日に文学フリマ東京が開催されます。 今回は「フリーテーマ」もしくは「スマホ」というテーマで作りました。 参加作家は、つん、田村美奈、松尾、たくやの4名です。 また、掲げるコンセプトも決めてみました。 幻想的官能と煮えたぎる狂気を映す分裂的ノマドの文芸誌 今後、このコンセプトを育てて行ければと思います。 表紙が出来上がったので、公開します。 まもなく、第三十八回文学フリマが開催されます。 日時は5月19日で 場所は東京流通センターです。 同人も募集していま