理性と感情のバランスを考えた文章から自己理解を得るお話(第26回)
どうも、ゆうせいです。
今回のテーマは「理性と感情」について。
いつもながら、ジラ谷さんのアウトプットnoteを読んで私なりの考察noteを書いていく。
理性と感情は、ジラ谷さんも元記事で書いてる通り人間を形成する要因として大きな役割を担っている。
そうした人間個人のフィルターを通して、理性と感情は文章にももちろん表れるんだけど、そのバランスがよく考えられた文章から「自己理解を得ることができるんじゃないか?」と感じたので、その辺りを言語化していこうと思う。
それでは本編をどうぞ。
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まずこの記事を、こんな人に読んで欲しいという項目をいくつか挙げようかな。
・情報発信で稼ぎたい
・でもノウハウや成功者の真似はしたくない
・時間をかけてもいいから自己成長しながら続けていきたい
・数字の実績レースに疲れた
・数字の実績がなくても稼ぐ方法を知りたい
こんなところかな、自分のことを全部書き出してる感じだけど笑。
なぜこうした人に読んで欲しいかというと、今回のテーマ「理性と感情」がそれぞれ「安定感」と「安心感」をもたらしてくれるからだ。
理性からは安定感が、感情からは安心感が生まれる例文を引用してきた。
安定感や安心感は心の動きのことで、それぞれ「焦らず落ち着きがある」「ホッとする」と言い換えることができる。
これをさらに深掘りすると、理性と感情から安定感や安心感が生まれるなら、安定感は安心感を生み、安心感も安定感を生むのではないか、と私は思った。
両方出てくるなら、どちらか一つあればええんちゃう?と思うかもしれないけど、他人の言葉や文章から感じ取るものだから、どちらかに寄せるだけでは安定感、安心感のどちらかをあまり感じないってなると不安が生まれてしまう。
なので、どちらかに寄せつつもう一方も隙間に挟んでいる、つまりバランスを考えた文章に触れることで安定感も安心感も得られるのだ。
そして、こうしたコンテンツは
と元記事にもあるように、深みのあるコンテンツになる。
安心感、安定感をコンテンツに求めるということは、「焦らず落ち着きたい」「ホッとしたい」気持ちがあるはず。
なので、先に挙げた「読んで欲しい人」のいくつかの項目には、安定感や安心感に繋がる思いを書いた、というわけ。
誰かのノウハウや真似をすることで、できる限り最短で稼ぐ方法を提示されると、「早く稼がなきゃ」と気持ちが焦るし、数字の実績や稼いだ額で競うレースに強制的に参加させられてしまう。
そうした環境だからこそ楽しめる、燃える、テンションが上がる人なら最高の居場所になるけど、そうじゃない人の方が印象としては多く感じる。
稼いだ額でぶん殴る「実績格闘技」が悪いのではなく、ただ合わない、違う方法の方が合っていると気づいてない人もまた多いと私は思う。
実際、私はそうしたレースでは全く振るわず、かつ普段雇われて働いているのに発信界隈でも誰かの言いなりで動くのか?と疑問を感じた時に、
「このやり方ではきっと続かない」
と思ってしまったのだ。
そして見つけた「数字の実績がなくても発信で稼げる世界」「自己成長しながら発信できる世界」。
気持ちが焦ることなく落ち着くので、安心しないわけがない。
補足的に書くと、あちらの世界は稼ぎたい気持ちにドーピングされたように欲求を刺激され、稼げないなんてあり得ないとばかりに不安を煽られる。
対して、論理と感情がうまく配置されたコンテンツでは、欲求喚起も不安を煽ることもせず、自らが考えて行動することを大前提としているから、誰かのコンテンツを参考にはしてもノウハウ実践のような横流し戦法で「なんで自分にはできないの?」とはならない。
そして、安定感や安心感を感じるコンテンツで学ぶのが合っている人は、ノウハウや横流しに疲弊して離れた人たちなのでは?と私はやはり感じるのだ。
自分がそうだったように。
私は、自由であるはずの発信を誰かに従って行なうこと、競争を強いられることから私自身を救うために、実績を伴わずとも収益化を可能にする発信方法=「独自の世界観の構築」という道を選び、今現在も学びの最中だ。
同じように、情報発信を窮屈に感じていたり、最短で稼ごうと急かされて疲弊し、もう辞めようかな…と諦めそうになっている人の背中を押せることができたら。
私の論理的(と言って良いかはわからないけど)と感じる文章を、感情を加えてバランスを考えたものへと進化させ、同属性の人たちが呼応してくれたなら。
まだまだこんな駄文だけど、書き続けている意味は大いにあるんじゃないかな、と思っている。
何より、自分自身がもっと学んで思考力を鍛え、アウトプット、言語化を呼吸するがごとく行なえるようになることが、まずは目標だ。
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考察noteを書いた、というよりは元記事を読んで感じたことを素直に書いてみたけど、理性と感情を織り交ぜた深みのあるコンテンツは、自ら学んで思考を続け、アウトプットをすることに夢中になれる人でなければ生み出せないと思っている。
収益化はもちろん大事で超重要だけど、人としてもコンテンツとしても中身がなければ未来に繋がることはない。
中身が充実し、深みのあるコンテンツを創り出せるよう、学び続け、思考し続けていくことを改めて心に決めて今回は締めようと思う。
それでは今日はこの辺で。
ゆうせいでした。
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