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『優しい』『落ち着いている』と言われる反面、『冷たい』『何を考えてるか分からない』と言われる。


僕は周りの人から『優しい』とか『落ち着いていて安心する』とか言ってもらえる事が多い。ありがたい事です。
でもその反面『冷たい』とか『ドライだ』とか『何を考えているか分からない』とか言われる事も多い。

一見するとプラスとマイナスの相反する評価ですが、根っこは同じところに行き着くと自分では感じています。

その根っことは、
『中立でありすぎる』事だと。

割と短気ですぐイラッとするけど完全には相手を責められず「何か事情があったのかな?」と想像してしまって矛を収めます。

約束の期限を守ってくれない人には「何かトラブルで困ってるのかな?」と心配してしまいます。

価値観が違う人と話しても「賛成は出来ないけどそんな考えを持つのも自由だよね」と自分の中で納得してしまうので意見を闘わせる事もなく薄いリアクションしか返せません。

悪い噂のある人がいても自分が実際に接して感じた物しか信じません。

自分の趣味嗜好を強くオススメする事もありません。

誰に対しても「他人だから僕とは違う部分があって当たり前」という捉え方が前提になっています。
親や妻に対してもその前提は崩れません。
違いがあって当たり前だから自分の考えを強く主張する意義もあまり感じられず、僕を分かってもらいたい、賛成してもらいたいという欲求も希薄です。

ある人にとってはそれが『寛容』と感じられ、別のある人にとっては『冷淡』と感じられるのではないかと推測しています。

意識して中立でいる訳ではないのにそうしてしまう。
これはおそらくまだ中立ではなかった少年の頃に
「分かってもらえなかった。受け入れてもらえなかった」
という体験が重なり、そのガッカリした気持ちを納得させる為に「自分と他人は違うもの」と自分に言い聞かせるようになって、やがてそれが定着したのでしょう。

自分が受け入れてもらえない事への恐れ、その裏返しにある中立さなので多様性を認めるという本当の優しさとは異なると感じます。

自分を主張するという点については最近変わって来ました。
受け入れられない怖さが薄れ、自分の素直な感情を表せるようになってきました。
40歳を過ぎてからのうつ病再発&休職・復職は自分の価値観を大きく変えました。
「他人に受け入れられなくても自分の好きなように生きてやれ!」と開き直る気持ちが芽生えました。

中立である自分の個性がスキとかキライとかは特にありません。
あまり意識せず自分が喜ぶ生き方に変化して行く中で、自分の個性もどんな風に変化して行くのか楽しみにしておきます。



2年前、人間関係について書いた記事



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