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日本最古の甘柿「禅寺丸柿」

柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

これは、正岡子規が詠んだ俳句で
有名になった作品のひとつ。

松尾芭蕉の「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
と並ぶくらい俳句の代名詞として知られています。

柿は秋の季語の象徴で

正岡子規は
「柿をこの上なく愛した人」
としても名を知られています。


この俳句はもちろん
法隆寺で詠まれたものですが

この頃の正岡子規は
重い病気を患っていて、かなり悪化しており

この奈良の旅を最後に
翌年、35歳という短い生涯を終えました。


病弱でありながらも
外で秋の訪れを感じたいと

必死の想いで奈良に旅立ちました。

その旅立ちの日が

126年前の1895年(明治28)の

今日、10月26日と言われており

正岡子規の柿愛や名俳句にちなんで

10月26日は「柿の日」とされています。


さて。

湿っぽく書き始めちゃいましたが

こっからハンドルをギュンと回します。


今日は「柿の日」ということですが

丸一日休みだったわたくし。

ベッドの上でダラダラするまいと

こんな所に来てみました!!

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⭐️星宿山王禅寺⭐️

かなりマイナーなお寺、だと思いますが

実は、柿の歴史に名を刻んでいる場所なんです。

鎌倉時代前期、建保2年(1214年)

ここ、王禅寺の山中にて

日本最古の「甘柿」が発見されたのです!


当時、一般的には
柿といえば「渋柿」しかなく

「甘柿」は存在してませんでした。

ここで見つけられた甘柿は
禅寺丸柿(ぜんじまるがき)」と呼ばれて

2007年に、禅寺丸柿の木の7本が
国の登録記念物に指定されました。

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☝︎王禅寺境内にある、禅寺丸柿の原木☝︎

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☝︎いくつか記念碑も置いてありました☝︎

禅寺丸柿が発見されてから
150年あまり経った1370年。

朝廷に、王禅寺の再建を命じられた等海上人が
※この頃、王禅寺は鎌倉攻めにあって火の海になってました

ふらっと王禅寺の裏山に入ったところ

この禅寺丸柿と出会います。

実になっていた禅寺丸柿を
ひとくち、食べてみると

これまで渋柿しか
食べたことがなかったものですから

「なにこれ?!?!美味しすぎん?!?」

と、その衝撃の甘さと美味しさに感動し

お寺に持ち帰って、柿の木を植えまくりました。

それから栽培方法などを
近隣の村の人たちに伝授した結果

村人たちの貴重な収入源となり

江戸時代になると
年間100両(現在の値にしておよそ800万円)
ほどの売り上げを誇っていました。

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ちなみに
この禅寺丸柿の木の樹齢は「400年」くらい。

王禅寺近隣の農家にも樹齢400年ほどの
柿の木が多く現存してるみたいです。


と、まあここまで
がっつり紹介しておきながら言うのもなんですが


本日

禅寺丸柿

食べておりません。


ひとくちも食べておりません。


禅寺丸柿はおろか

柿すら食べておりません。


ずっこけ案件です。


和尚さんやお坊さん
誰もいなかったんですもん…


人っ子一人おらず。


柿を売ってるお店もなく。


でもお腹は空いていたので

泣く泣く、近場のラーメン屋に寄りました。


ラーメン、美味しかったです。

しっかりとお腹を満たしました。


ただ、なんでしょう。

これで素直に帰ってしまって良いのだろうか?

せっかく記事にするんだから
ちゃんと柿の味を伝えるべきでは?

と、押し問答が3秒くらい続いたので

ラーメン屋のおばちゃんに

「禅寺丸柿ってご存じですか?☺️」

って聞いてみたんです。

そしたらおばちゃんからの返答は

「ここは、柿売ってね〜よ?☺️」


面食らいすぎて

すぐにお会計しました。

ごちそうさまでした。

また来ます。


今後、
禅寺丸柿にありつけることがありましたら

どんな味だったのかご報告させてください。


以上、

ラーメン屋のおばちゃんには勝てない話でした。

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