人が居なくなってしまうのがやっぱり怖い
少し暗い話かもしれません。
私は体調を崩して少し前まで入院生活を送っていたのですが、同じ病を患っていた方が逝去されて、突然のお別れがありました。
とてもつらくて。
それから自分の周りの人たちのことが過剰に心配になっていました。
明日また連絡できるかなとか、
今度会うときまで元気でいてくれるかなとか、
今どこかで苦しんでいるんじゃないかなとか、
実は身体のどこかが悪いんじゃないかなとか。
わたしの周りには大切な人がたくさんいるので、
その人が生きたい分を生きれたらいいなと心から願いたくなるのですが、それは私が居なくなることを受け入れられないからなのでしょうか。
これまでにも、お別れしてきた人やペットはいるけれど、今のわたしにはもう受け入れられないのでしょうか。
時が止まればいいのになって何度も思いました。
それじゃあ意味がないのも分かってるけど。
人の命って常に終わりという可能性を持っているから余命とかそこまで関係ないとも思いました。
みんな結構同じ条件で生きているというか。
改めてそう感じました。
でも、きっと、いつ終わりが来るかわからないって
思いながら生きている人って実は少ないんじゃないかな。
人は会う約束とか、何かする約束とか、何かにつけて約束ってするものだけれどそれを果たせる確率っていつも50.50だなって思ったり。
存命の事実ってとてつもなく奇跡だと思います。
存命の者同士がこうやって関われるのも。
最近自分の死に対する怖さはあまりなくて
周りの人がと思う方が何倍も辛いです。
大切すぎてしまうからなのでしょうか。
家族も彼氏も友達も誰1人失いたくない。
失うのが怖くて忘れたいとさえ思います。
結局は自己中心的なのかもしれませんね。
自分が傷つくのが怖いんでしょうね。
甘ったれているようです。
愛せば愛すほどあとが辛くなってしまうことなんてとっくにわかっているのに、大切な人はどんどん大切になってしまうんですよね。
残酷だよ。うん。
優しい曲を沢山聴いて歩こう。
体力が落ちないように。
とてもわがままなお願いだけど、どうか元気に、息して、ご飯食べて、歩いていてください。
いつもこうやっておんなじような事で立ち止まって踠きながら生きているから、ずっと足踏みだけをしているような気がしますね。笑
今いまは何か残るものを抱えながら生きると終わりが来た時にその物たちがひとりぼっちになってしまうのは可哀想だから手ぶらにしておく方がいいのかなとか、そんなことを考えているから明日もわたしはきっとここにいるかな。
足踏みって、贅沢です。
ここまでお読みいただいた方ありがとうございます。暗い話になってしまってすみません、お詫びになるかわかりませんが、優しく寄り添ってくれる曲たちを。
・少し気持ちが暗くなっても、僅かな光を見つけ出す手助けをしてくれるような。
・ドビュッシー。寝る前に限らずよく聴きます。今回は月の光を。
・「頂きと思って近づくと道まだ続くと気付いてほっとする」