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竜に守られる城:二俣城の地形と地質part1【お城と地形&地質 其の七-1】

戦国時代の「城」は、様々な理由でそこに建っています。
その地域を治めるために立地が良いとか、政治的な意味もあるでしょう。
そして何より他大名との戦での「守りやすさ」も重要です。
そのような「お城」を地形・地質的観点から見ていくシリーズ。
今回は二俣城です!


二俣城の概要

二俣城(ふたまたじょう)は静岡県浜松市に建てられた城で、もともとは今川氏が建設したものですが、後に徳川氏に領有されます。
武田信玄の遠江・三河侵攻の時に激戦の末、落城します。
その後、かの有名な三方ヶ原の戦いが勃発しました。

三方ヶ原の戦いについては、以下リンクをどうぞ👇

二俣城は難攻不落の城で武田勢も苦戦しましたが、天竜川から水を汲んでいることに気づき、その取水施設を破壊して落城に至らしめています。

さて、どのような立地条件なのでしょうか?

どんな地形?

さっそく地形図を見てみましょう。

二俣城の位置:スーパー地形画像に筆者一部加筆

二俣城は天竜川沿いの山地と平地の境目に立地しています。
北東から流れてくる二俣川(ふたまたがわ)と天竜川の合流地点であり、まさに交通の要衝です。
また図を見ても分かるように、山地側から見れば、まさに平野への玄関口になっており、徳川氏にとって重要な防衛拠点だったと想像できます。
立地条件的には長篠城と似ていますよね。

二俣城周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

拡大しました。
天竜川と二俣川の2河川の合流地点なので「二俣」なのかと思いましたが、よく見ると北北西から流下する阿多古川(あたごがわ)も合流していました。
なお天竜川は二俣城を取り囲むように蛇行しており、南や西からの侵入を阻むバリアーになっています。

二俣城周辺の地形図②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

さらに拡大しました。
二俣城は南北方向に細長い山の南端部にあり、そのすぐ西に天竜川が流れています。
また東の二俣川流域には広い平坦地がありますが、周囲を急峻な山に囲まれており、まさに天然の要害と言った様相です。
各地の狭窄部(黄〇)の防備を固めれば、侵入者を十分防げます。

平坦地は広く、城下町や耕作地として利用されていたでしょうから、それらごと城壁で囲んだかのような地形であり、まるで中国大陸やヨーロッパの城のようです。

二俣城周辺の地形図③:スーパー地形画像に筆者一部加筆

さらに拡大。
二俣城が建つ城山の周囲は急斜面に囲まれており、守りは万全。
また山頂部が平坦になっているため、北部の平坦面に兵舎や武器庫、食糧貯蔵施設もあったでしょうから、籠城に強いと想像できます。
平坦地の侵入口の守りと城の守りで二重での守りは、かなり堅牢です。

二俣城周辺の地質

かなりの堅牢さを誇る二俣城周辺域の地形は、どのようにして形成されたのでしょうか?地質図を見てみましょう。

二俣城周辺の地質図:5万分の1地質図幅「秋葉山」に筆者一部加筆

なるほど!
城山の地形の理由が分かりました。

二俣城が建つ場所の青いドット柄(dy)は、第四紀更新世チバニアン期(約77万~13万年前)の礫、砂、泥の堆積物です。
これは天竜川の扇状地堆積物だと推定されています。
侵食が進んで証拠が少ないため断定できないようですが、おそらく段丘堆積物なのでしょう。だから山頂部が平坦だったのですね。
この堆積物はそこまで層厚は厚くなく、下に古い時代の岩盤があります。

城山北部の灰色が中生代白亜紀中期後期~新生代古第三紀暁新世中期(約1億1300万~5920万年前)泥質片岩
城山南部のピンク色は中生代中期ジュラ紀~後期ジュラ紀前期(約1億7400万~1億5700万年前)混在岩
(※5万分の1地質図では「石英質片岩および黒色千枚岩」と記載されていますが、後年の20万分の1地質図やシームレス地質図の記載(混在岩)に合わせました。5万分の1地質図がもっとも詳細に地質分布を描いているため、図は5万分の1を採用しました。)

両者とも風化が進めば崩れやすくなりますが、基本的には硬めの地質であるため、急斜面になっているのでしょう。

なおdyが東の山地にも分布することから、過去の天竜川はもっと東を流れていたと推定できます。
とすると、現在の二俣川沿いの広い平坦地とそれを囲む山地は、古天竜川の侵食によって形成されたと考えられます。

以上のように、城山山頂部の平坦地、二俣川沿いの広い平野部を取り囲む山々は、天竜川によって創られたと言えます。

しかし!そんな二俣城にも弱点がありました。
次回へ続きます。
お読みいただき、ありがとうございました。

引用・参考文献

斎藤正次・石義見 博(1954) 秋葉山.5萬分の1地質図幅説明書,地質調査所,34P.

牧本 博・山田直利・水野清秀・高田 亮・駒澤正夫・須藤定久(2004)20万分の1地質図幅「豊橋及び伊良湖岬」,産業技術総合研究所 地質調査総合センター



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