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あわてなくても明日はやってくる
こんばんは
これを読んでいる人がもし30代なら、20代から30歳になった日を経験していることでしょう。
40代なら、40歳になった日を経験しているし、50代なら50歳になった日を経験をしているでしょう。当たり前である。
ぼくはいずれも経験したけど、たとえば40歳の誕生日を迎えた時のことを振り返ってみると、それまでの10年間はずっと
みたいな気分だったのが、いきなり
変わってしまったのだっ
世間に悪い人はいないが、困った人ならたくさんいる
どうもこんばんは!
一週間のご無沙汰でした。
さて、ぼく的には暮れは30日まで入院してまして、年が明けたと思ったのもつかの間、今年もすでに12分の1が終わろうとしておるわけでございます。いやいや早いですよね~。
そこでいきなりですが、あなたは新年の計というものは立てましたでしょうか。「今年こそはこうしよう!」とか「ああしよう!」というような計画は立てたでしょうか。
ちなみに、ぼくは、今年こそ
リベラルは勝負に弱い
プロってなんだろう?
プロってなんだろう?
プロの定義ってなんだろう?
ということを考えてみた場合、やはり
というのが最初に浮かんでくる答えだ。
野球でごはんを食べられればプロ野球選手だし、将棋でごはんを食べられれる人がプロ棋士である。
その技でめしを食っているプロには、仕事に対して、アマチュアにはないきびしさがある。
このきびしさをプロ意識といっていいと思うけど、ぼくはそういったプロ
ロボコップはなぜさりげない会話ができないか
みなさん、こんばんは~。
いきなり私事ですが、今週は胃痛ウイークでした。検査ウイークでもありました。
ストレス
先週から胃痛が止まらず、寝ることもままならない日々が続いたので、たまらず胃カメラ検査ということになった。
ちなみに定期検診は3月にやったばかりなので、そんなに急変しているとも思えない。でも、万一ということもあるので、最悪の場合は、入院やら手術やらも想定したうえで検査に臨んだ。
「ヘイロー3」から見た多様性のパラドックス
みなさん、どうもこんばんは!
さて、最近、ぼくは寝る前にちょこっとゲームをやっておりまして、まあ、もともとそういう習慣があるんですけど。
ちなみにいまは「ヘイロー3」というのに熱中していて、ゲーム機はXboxというのをつかってます。
これはマイナーなゲーム機で、プレステやSwitchが幅を利かせている日本ではまるっきりのマイノリティ扱いというか、それにしてもXboxってなんでこんなに人気ない
「恐怖の大王」について今さら語ってみる
こんばんは~
いやいやいきなり涼しくなってきましたね~
そんな中、お忙しい方も、お暇な方も、わざわざこんなところまでアクセスしていただきまして、ありがとうございます!
こういう感謝の気持ちは前々からあったのですが、これまで、noteの冒頭にあいさつを入れたことはなかったんですよ。
実生活ではしっかり挨拶するタイプなんですけどね~。ここでは何年もあいさつ抜きでしたね~・・うーむ。なんでかなあ
SNSの炎上について思うこと
低姿勢の人生
このnoteでは、もしかするとエラそうな人間みたいに見えているかもしれないけれど、ぼくの基本的な姿勢を一言で言い表せば、
ということに尽きる。デフォルトで低姿勢だ。とはいえ
というような立派なことではない。なぜなら、なにも実っていないからで、むしろ、エラくなっていないからこそ、低姿勢でいるより仕方がないというだけである。
という感じである。でも、ふつうはこうだろう。
エラく
ディストピアの入り口はどこにあるのか
AIで簡単に動画を生成できる時代になりましたよね。今日は、それについて考えたことを書いてみます。
AI内部のアルゴリズムなんかはまったく理解していないのですが、そのようなシロウトでもわかることを書きます。現時点で、シロウト目にもわかるAI動画の限界点と、その先に行かれたらヤバいな、という境界線について。
いきなり結論を先取りしてしまうと、現時点のAI動画の限界は、リアリティという概念が欠如して
X世代の考える「便所メシのここがイイ」
アメリカではジェネレーションXと呼ぶそうだが、日本では新人類などと呼ばれた世代がいて、ぼくはこの世代に属している。なお、新人類はすでに死語になっているので書くのが恥ずかしい。
X世代はケネディ政権誕生からベトナム戦争終結くらいまでに生まれた人々を指す。"X"はナゾという意味で、よくわからない連中ということらしいが、新人類もよくわからないということで、旧人類に対して新人類と言われたのでおおむね同じ
スーパーマリオと露寇事件
相手の身になって考えよう
みたいなことはよく言われる。
みたいな言い方もあり、このほうが具体的なので、ややありがたみが増す。じぶんをつねれば、相手もこのくらい痛いのだろうなと想像できる。
他人の靴を履く
ところで英語では、相手の身になることを、
という言い方をするんだけど、つねるより靴を履く方がわかりやすいので、ぼくの気に入っている言い回しだ。
他人の靴を履いてみれば、片べりしていたり
目的は手段を正当化するのだろうか?
「はだかの王さま」という寓話を知らない人はいないだろう。にもかかわらず、いつの時代も人は「はだかの王さま」を繰り返す・・嗚呼。
こういう風にいえるのはこどもだけだ。
さて、ぼく自身は、大人の事情ゼロでこのnoteを書いているので、ある意味、こどものようなものだといえる。アクセス数で食ってるわけではないし、失うわけにはいかない信用も地位も持ち合わせていないので、いわゆる無敵の人に近い。
である
法律を守ることの大切さ
人間関係が長続きするかどうか
パートナーでも友だちでもなんでもいいけど、人間関係が長続きするかどうか、相性の良し悪しというのは、結局のところ、お互いの共通点と相違点のバランスで決まるのではないか・・という風にぼくは思っている。
かつて妻が仕事のことで悩み、占い師や霊能者にいろいろと見てもらっていた時期がある。彼女は仕事のことを聞きにいっているわけだが、相手の霊能者は
みたいな流れに必ずなるら