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手術と戦争

人生いろいろ~♪
というわけで人生いろいろです。

昨年末に人生初の入院を経験したことはすでにさんざん書いたので「またか」と思われそうだが、昨日は別な病院へ行ってきた。

妻が都内の某大学病院に検査入院していたので、迎えに行ったのだった。

そして、4月になれば、またぼくが入院して腹腔鏡手術をやる予定なので、最近、やたら病院づいている。

さて、腹腔鏡手術というと、開腹手術よりもラクそうなイメージがあるでしょう。僕もそう思っていた。しかし、どうやらそうでもないらしい。

最近、東條さち子さんのマンガ『アラフィフ漫画家 更年期かと思ったら妊娠してました』を読んでいたところ、アラフィフ漫画家が妊娠する話だと思って読みはじめたら、なんだかんだで結局は、卵巣嚢腫を腹腔鏡手術する話だった。

東條さんのマンガが好きで読んでいただけなので、単なる偶然にすぎないけど、東條さんも僕と同じく「腹腔鏡手術なんかたいしたことないだろう」と高をくくって臨んだらしい。

ところが、実際にはすごく痛かったそうだ。マンガは絵で訴えてくるので、具体的な苦しさが伝わってきてビビってしまった。

そんなわけで、今は腹腔鏡手術にちょっとビビっています。

とはいえ、世の中には難病を抱えて手術を繰り返している人はたくさんいるはずで、これを読んでいる人の中にも、もしかしたら手術を繰り返している人がいるかもしれない。

そういった人からすれば、腹腔鏡手術なんかはじめてのおつかいみたいなもので「全然たいしたことではない」と思う人もいるでしょうね。たしかにそうなのだ。腹腔鏡手術にビビっている自分など

まったくのチキン

だということはいさぎよく認めたいと思う。

戦争はトンデモナイ

とはいえ、たとえ毎年手術をやっている人でも、この平和な国で、高度な医療を受けられている時点で、ガザ地区の住民に比べれば相当恵まれている。

ガザに行けば、いつあたまのうえからミサイルが降ってくるかわからず、そして死にそうなけがをしてもまともな医療すら受けられない。下を見ればきりがないのだ。

一方で、この平和な国で、一度も大きな病気をせずに長生きを楽しみ、そして、ピンピンコロリで亡くなる人もいるわけで、上を見てもきりがない。

下を見ても上を見てもきりがなく、まさに人生いろいろ~♪なのだ。

なので各自が、今置かれた状況でベストを尽くすしかないわのだが、それにしても、胆石というのはわずか17ミリのかけらにすぎない。このたった17ミリのせいで、ぼくは昨年末から大騒ぎしており、ほんとうにたくさんの人のお世話になった。

そういう自分・・たった17ミリの石のせいで、これだけ苦しみ、ビビっている人間からすると、戦争なんて

とんでもねえ・・

としか言えない。

自殺もトンデモナイ

戦争だけじゃない。自殺もである。

こないだ樹海ライターの村田らむさんの『樹海怪談』という本を読んだのだが、これは著者と、彼の相棒でポルシェに乗って樹海にかよい、死体を発見してはその前で食事をするのが趣味、という会社員のKさんが20年にわたって樹幹を探索し、発見したさまざまな死骸について書かれた本だ。

これを読んでいてつくづく思ったのだが、ぼくのようにわずか17ミリの胆石に苦しめられつつ、来るべき手術にビビっている人間からすると、カラダに不調がないにもかかわらず、みずから命を絶って、樹海の動物に内臓を食い荒らされることを選んだ人たちの考えというのは、

と、とんでもねえ・・

としか言えない。彼らの死にざまに比べれば、17ミリの胆石など、

ほとんど無

に近いものに思えてしまう。

以上、ここまで何を言いたかったのかというと・・

これまで戦争とか、自殺とか、あるいは殺人とか、そういうもろもろは、はるか遠くの方にある非現実のように思えていた。

しかし、いざ自分のお腹を切ることが、近い将来に確実になってみると、世間にあふれているいちいちの自傷他傷の暴力行為が

と、と、とんでもねえ・・

という感じに思えてきて、これまでになかったリアリティをともなって、身に沁みるということ。

口径17ミリ×1発でこんだけ大変な思いをしているのに、

無数の細かい金属片を入れ、殺傷能力を高めた砲弾を住宅密集地で使用

とかマジでありえねえ・・って感じ。

善意の象徴としての傷

ところで、ぼくはさきほどからさかんに手術にビビっているわけだけど、考えてみれば、そもそも手術というのは、お医者さんが、良かれと思って切ってくれるだけであって、憎くて斬られるわけではない。

こないだ診察に行った時にも

よくなってよかったですね~

と言ってくれた先生が切ってくれるのだから、その傷はいわば

人の善意と医療の進歩の象徴

みたいなものだといえる。

一方で、もし捕虜になって拷問されて腹を切られたとすれば、仮に同じ大きさの傷が開いたとしても、その傷は

人の憎しみと野蛮さの象徴

であり、そこから受ける心の痛みや恐怖感は、腹腔鏡手術とは段違いのはずだ。

そう考えてみると、善意で切られる傷でもこれだけビビっているのに、憎しみで切られる傷なんてとうてい耐えられないと思う。

ましてや、ドローン攻撃で、部隊全員が一瞬でひき肉になるとか、想像すらできない。でも、そういうことが何年も続いているのだ。

そして、そういった環境に望まずに巻き込まれている人たちも大勢いるけれども、望んで参加している人たちもたくさんいるわけで、そういう人たちのことはまったく理解できない。

良いの悪いのという気はさらさらなくて、ただ理解できない。

敵を心底憎み、相手を苦しめ、殺したいと心底思い、国のためなら喜んで命を捨てるという思想の持ち主は、ウクライナやガザだけではなく、世界中にいるし、日本にもいる。

また、世の中にはお金のためならバイトで人を殺すというタイプの人たちもいるし、みずから樹海で命を絶つ人もいるわけだが、こういったすべての人たちに対して良いの悪いのという気はなくて、17ミリにビビっている人間としては、ただ理解できない。

暴力的な世界との住み分け

そのうえで、暴力的な世界を変えることは当分できないだろう。当分というのは数十年単位ではなくて、数百年~千年単位でできないだろう。

なので、現実的な選択肢として、暴力的な人々とは理解し合おうとするよりすみ分けるために自分に何ができるのかを考えたほうがいいと思っている。

この住み分けの重要性については、来週書くかもしれないし、書かないかもしれないけど、大事なことなので、ここでnoteを書いているかぎりはいずれどこかで書くと思います。

今日のところは、

医療に日々助けられていると、自傷他傷を問わず、あらゆる暴力行為が狂気の沙汰に思えてくる

ということで終わります。

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