#名前の由来

歌って踊る占い師

HSPカウンセラー

ダンス作品振付家の、

音羽優璃(おとわ ゆり)です。

お元気ですか?


***


今日は #名前の由来 について書きます。

ズバリ!芸名です!
知ってる人は知ってるか~(笑)

私は高校卒業後、歌劇団の養成学校に入りました。私達の学年は1年生(本科生)の終わり頃、舞台実習生として劇団の本公演に出演することになりました。通常は、2年生(研究科生)で出演する学校公演の時に芸名をつけるのですが、だいぶ早まって考えることになり。確か…夏休み中に芸名を考えてくるのが「宿題」のひとつでした。

(今思えば、なんとも面白い「宿題」やわ~)

で。

「おとわ ゆり」
音(おん)はスッと決まりました。

実家が「音羽町」という地名の場所にあり。毎年庭に白い百合の花がイッパイ咲いて美しい。

それで「おとわ ゆり」。

1ミリも悩まずに。
迷いなく、
潔く、
決まった!
潔よすぎて、この時点で何故か「我が人生に悔い無し」みたいな空気感を感じていました←早っ(笑)

いやまだ、
1年生の夏休み。
舞台人のタマゴとしての夏休み。

舞台って"動的な芸術"なわけですよ。『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』というフレーズがぱあっと左脳を刺激して、右脳にピン!と来たのでした。

あとは漢字表記。そこはベタに姓名判断で。良い画数を調べ「音羽優里」とつけました。

んん?
歌劇の娘役としては
キラキラ感少なめ。

そりゃそうだ。
「自分がうんと年を取って、おばあちゃんになっても使い続けられる名前を付けよう」と思ったから。

どうしてそう思ったか?

私の本名は芸能人と同じ名前なんですよ。名乗れば必ず「あーー」と笑われて、リアクションされて育ってきました。それがいつも嫌やったんですわ。だから、歌劇の娘役で留まらずに末永く使える名前にしたかったのです。

遂に"自分だけの名前"を手に入れた18歳のワタクシは「あー。やっと自分だけの名前が持てた!これからは、名乗っても笑われなくてすむんやな~」とホッとしたし、嬉しくて嬉しくて♪

その安心感と喜びを感じながら「おばあちゃんになっても業界で生き残ってゆけるように、しっかり芸を磨き続けるんだっ」と鼻の穴をブヒーっと膨らませながら覚悟を決め、墨を摺って自分で命名書を書いたのでした。

あれから30年。

私は「私が産まれた時の私の母方のお祖母ちゃん」の年齢に達しました(祝)

孫はいないけど「お祖母ちゃんになっても使い続けられる」を達成したような気持ちです。

おかげさまで、
今でも舞台に立てています。
ありがたや!

18歳で「優里」とつけた後、流れに応じて「ゆり」→「ユリ」→「柚里」という漢字を使ってきました。

そして昨年、漢字表記を「音羽優璃」に改名しました。年齢を重ねて、より軽やかに、ふわっと優しく、より輝いて生きてゆきたいと感じるようになったからです。

まるで、
優しく頬を撫でる
風のように。
唯一無二の輝きを放つ
宝石のように。

「おとわ ゆり」
優里→優璃へ。

18歳→ブヒーっ!
今→ぷひっ☆
みたいな感覚?!

やっぱり姓名判断はチェックしました。そこは変わっていないから、自分でも笑けます(笑)そういう変わらない部分をいとおしく感じたりもします。

あ、もう1つ変わらないことがありました。

それは。

結婚して、旧姓から旦那さんのお家の名字に変わっても、やっぱり芸能人と同じ名前だということ!旧姓よりもインパクトがあり。病院で名前を呼ばれると待合室がザワつきます… まっ、しゃーないな(爆笑)…と、開き直れるようになったのも。"成長の証"ということにしておこう。

この30年もの時の流れの中で、歌って踊るだけではなく、占い師とカウンセラーとダンス作品振付家のスキルも手に入りました。18歳の時の覚悟は、まだまだ色鮮やかに私の心で燃え続けています。これからも芸を磨き続けるんだっ!ぷひっ☆

#名前の由来 は以上でございます!

***


お読み下さり、

ありがとうございました。

〈音羽優璃オフィシャルサイト〉
https://www.otowayuri.com/

この記事が参加している募集