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”忙しそうだけど何やっているのかわからない仕事”を全力でやって見えたこと

2022年2月に、株式会社 北原孝彦(現 Laboratous株式会社)に就職すると、3年間のフリーランス時代に培った、ライティング力や発信力を生かして、講師としても活動するようになった。

「売れる文章の書き方」を教える先生として、全国各地のイベントに毎月登壇したり、もちろんオンラインでもセミナーを開催したりした。

セミナーと相談会を通しで登壇し続ける日(今おもうと8時間・・・!)も珍しくなく、もともと人前で話すのが苦手なわたしはヒーヒー言いながらやっていた。

それでも、それなりに楽しくやっていたと思う。

やりたいかやりたくないかで言ったら答えに悩むけれど、やりがいがあったのは間違いない。

何かを「やってる感」が分かりやすく得られるのは登壇イベントだったから。

でも、2024年になると登壇する機会はほとんどなくなった。会社から、登壇しなくてもいいと言われた。


クビになったのかーー?


・・・というと、そういうわけではない(少なくとも自己認識としては)。

じゃあ、何をしているかというと「広報」の仕事に、集中させてもらえるようになったのだ。


マラソンのようなてんやわんやな毎日

今までは、講師もしつつ広報もしつつで、てんやわんやだった。

セミナーを3時間やったあと、参加者に10分間の休憩をしてもらっている間に、ダッシュで会場をまわり、会場を撮影してまわった。

そして、涼しい顔で席につき、また講師業に戻るのである。

それを何セットも繰り返して、なんとか切り盛りしていたのだけれど、さすがに大変さが滲んでしまったのか、2024年からは「広報」に専念できるよう、わたしの登壇はなくなった。

正直なところ、ちょっとだけ「これで解放された・・・・・・!」と喜んだけれども、それも一瞬のことだった。

これまで登壇していた「8時間」もの時間が、がっつりと広報活動に充てられるとなると、それはそれで問題だった。


自分で仕事を作らないといけない

そう、写真を撮るだけならバイトでもできる。

時給1,200円でバイトを雇う以上の働きを、自分で考えて、生み出さないといけない。

そこで、考えられることは手当たり次第にやってみた。

まずは登壇者の写真のクオリティを上げ(る努力をし)た。少しだけ構図も勉強して、いい写真が撮れるように心がけた。

とはいえ素人なので、わたしにとっての”いい写真”の定義は、”登壇者(被写体)が自分のSNSに載せたくなる写真”としておいた。


そして、イベント中にnoteを書いて、終了に合わせて公開する。レポートは多少粗くても鮮度が命。


もちろんYouTubeも撮る、たくさんいろんなYouTube企画が生まれた。


リアルイベントは「お客さまの声集め」のチャンス。これは今後もっと力を入れていく予定。


そんなこんなで貴重な1日にあれこれを詰め込んでいったら、結局、時間刻みのキツキツスケジュールになって、走り回ってた。


広報の「仕事」はどこにある

でも、なんだか「仕事」ができている実感がなくて、このままでいいのだろうかと少しだけモヤモヤしていた。

広報活動は登壇に比べて「やってる感」がわかりづらい。

「何人の前でセミナーをしました」ドヤ!
「お客さまからこんな成果が出ました」ドヤ!!
「〇万円の成約が取れました」ドヤ!!!

というのが、広報活動からは生まれないからだ。

「忙しそうだけれど何やっているのかわからない」というのは広報あるあるだと思う。

なので、この輪にいてもいいのかなと思うときもちょっとだけあった。

ある日ーー、もしここに広報がいたら?

そんなこんなな日々の中で、久しぶりにイベントを開催する機会があった。

「登壇」というほどではないのだけれど、わたし主催のランチ会をした。

当日、みんなに楽しんでもらえる場づくりに集中していたら、イベント中の写真がなかった。

厳密にいうと、引くほど映えないチョコケーキの写真はあった。

そのときふと「あ~ここにわたし(広報)がいれば、もっと写真も映像も残せただろうなあ。SNSにもリアルタイムに発信されてて、終わるころには記事もリールも出来上がってるだろうなあ」と思った。


わたしにできること、わたしの仕事

わたしは、広報活動の中で「気づいたらコンテンツが生まれていること」を大事にしている。

フロントに出ていくメンバーが、目の前の活動に集中しているだけで、その写真や映像が素材として回収され、「コンテンツ」として編集され、世に放たれ、アクセスが集まる状態を作るようにしている。

つまり、フロント活動がそのまま広報活動になるようにしており、よって、フロント活動と広報活動は一体なのだ

久しぶりに自分が「フロント」に立ったときに、不覚にも「広報」のありがたみを感じた。

「自分は”仕事”が出来ているのだろうか」なんて心配はいらなかった。

広報にスポットが当たることもなければ、「広報のおかげで」と言われることも少ないかもしれないけれど、フロントにスポットを当てられるのは広報だし、「フロントのおかげで」につながる出会いを生むのも広報にかかっている。

そうして、自分の仕事に対する定義のようなものが書き換わり、今日はこうして自分の”仕事”について書くことができた。

(結論、広報の広報が欲しい。)


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