さらば、すべてのめんどくさい
めんどくさいことって何で毎日絶えないんでしょうね。
仕事に行くのがめんどくさい、勉強がめんどくさい、人付き合いがめんどくさい、家事や掃除がめんどくさい、なんなら朝起きるのさえめんどくさいときもざら。
ちなみにわたしは世界一めんどくさいが似合う女、ベストオブめんどくしすとに選ばれたことがあります。
息を吐くようにめんどくさいという言葉を言います。
毎日めんどくさいと100万回tweetしてます。
『うっせぇわ』を面倒くせぇわに替えて歌いながらゴミ出し散歩してます。
そんな私が最近であって救われた考え方。
めんどくさいことはいっそやらない+α
なお話を今日はしたいと思います。
日々いろんなことが面倒くさくて面倒くさいに押しつぶされそうなあなたにぜひ読んでほしい。
それではいってみまSHOW。
めんどくさいと思う感情の正体
そもそもめんどくさいという感情の正体はなんなのか。
それは『やらなきゃ』と思うことからはじまります。
やらなきゃと思うことほどめんどくさいことが多くないですか?
実はめんどくさいという感情は
やらなきゃ×やりたくない=めんどくせー!!!!
この公式が当てはまるのです。
仕事に行かなきゃいけないけど本当はいちにちぐーたらしたいから行きたくない。
テスト前だから勉強しなきゃと分かってはいるものの勉強嫌いだからしたくない。
家事をやらなきゃいけないけどとにかく面倒くさい、誰か代わりにやってけろ〜。
これ全部上記の公式があてはまると思いませんか。
つまりめんどくさいという感情は
やりたくないのにやらなきゃいけないこと、状況に対して生まれるのです。
イッツシンプル。
やらなきゃは存在しない
じゃあ結局めんどくさいことこそやらなきゃいけないんじゃん!!!
この考え方のどこに救いがあるんだよ!むしろ絶望増したわ!!
私にはきこえる、ブーイングの嵐が。
けど大丈夫です。このまま指をスクロールしていこうぜ。
ここで発想の転換をします。
やらなきゃいけないと思いつつやってないことってもしかしてやらなくてもどうにかなることなのでは????
だってそもそもやらなきゃ本当にやばい状態なら体が勝手に動くものです。
目の前に拳銃を持った人が現れたときめんどくさいからなにもしないってことありえますかね?
恐怖でなにも出来ないってことはあっても面倒くさい感情は十中八九発生せず、必死に状況を打開する策を考えるはず。
にもかかわらず日常の出来事に対してはめんどくさいという感情が湧く。
これは言うならば切羽詰まってる状況じゃないから。
めんどくさいという感情に至るまでの余裕と余白があるから。
ならいっそそのままやらなくてもなんとかなる事だったりするのです。
もうめんどくさーーーって思ったことはいっそやらないで楽になっちゃいましょ。
実はやらなくても大抵なんとかなることばかりだよ。
一思いにいっちゃおーぜ。
やらなきゃをやりたいに言い換える
いやいや、やりたくないけどやらなきゃいけないことは存在するでしょう!例えば仕事とかさぁ!生きるために必要じゃないか!
ご飯支度も自分一人ならどうでもいいけど子供のためにもやらなきゃだし。
学生のみなさんは嫌でも試験前にはさすがに勉強しなきゃって人もいるでしょうに!!!
私には聞こえる、反論の嵐が。
でも冷静に考えるとこの中に嫌なことなのに首根っこ掴まれて脅されてるから仕方なくやってることって実はひとつもないすんよ。
ここからは極端な話を敢えてしますが、
日本には職業選択の自由があるから仕事が嫌なら転職すればいいだけ。
更にいえば生活保護等の社会福祉制度も整ってるんだし職がないからって飢えて死ぬことは令和の時代にまず起こりえない。
ご飯支度だってコンビニで済ませばいいし、勉強だってしなくても義務教育なら卒業できるし高校以上なら辞めるのも自由。
我々はいつだって自由なのです。
もちろんこれは前述した通り極端なお話。
上記の例に書いたようなことも真に『やらなきゃいけないこと』ではない。と理屈では分かっても
「いやいや正直そこまでは…」
って言うのが私含めみんなの本音だと思う。
だからそんなときはもうひとつの方法。
『やらなきゃ』を『やりたい』に変換してみよう。
これはズバリやらなきゃと思ってる事の真の目的、動機を自分の中に問うてみて見つけ出そうということです。
例えばさっき上げた例、仕事・家事・勉強。
ひとつずつ自分の中にそれらをする理由を問うてみよ!!
〜ここからはわたくしの妄想〜
【仕事に行く理由】
・仕事はめんどくさいけど給料安定してるし転職するのはさらに面倒だからこのまま今の仕事を続け『たい』
・上司は死ぬほどムカつくけど同僚はいいやつらでこれからも仲良くしていき『たい』
・ぶっちゃけ違う部署に意中の人がいて目の保養として1日一回は拝み『たい』
【ご飯支度する理由】
・節約のために自炊し『たい』
・子どもに栄養とってほしいからコンビニではなく自分で作り『たい』
【勉強する理由】
・希望の大学に合格し『たい』
・いい点数とって周りを見返し『たい』
この『やりたい』は誰かに発表するわけじゃないんだからどんなに些細なことでもゲスい理由でもなんだっていいのです。
もちろん今例にあげたこと以外の全ての出来事に応用可。
とにかく自分の奥底に眠る真の目的に目を向け、
やらなきゃ⇒やりたい⇒やる
の一方通行を整備できれば大勝利!!!
これって冷静に考えると超納得で、だってやる意味を見出せないことほど気の乗らないものはないよなと思いました。
さらに逆にいえばどんなに考えてもやりたいに変換できないことは本当にどう転んでもやりたくないことなんだから、体に悪いのでやめましょう。
結局は最初の「いっそやらない」の方向性に戻るだけ〜。
やらなきゃいけないことはどちらの方法でも結果的に消滅します。
まとめと考察(ぶっちゃけここだけ読んどけばいいコーナー)
ここまで長々書いてしまったのでさっくりまとめると
まず前提としてやりたくないのにやらなきゃいけないことに対し人は面倒くさいという感情がわくということを踏まえた上で
その感情をなくす方法は二つ。
・やりたくないのにやらなきゃいけないことはもういっそやらない
・『やらなきゃ』を『やりたい』に言い換えてやる意味をみつける
私は特にひとつめの方法に衝撃を受け、本当は絶対にやらなきゃいけないことって限りなくゼロに近いんだなと思えただけでも心が軽くなりました。
そしてさらに書きながら新たに思ったのが
このやりたいに変換するのって簡単そうで結構勇気がいるなぁということ。
だってやらなきゃをやりたいに変換した瞬間、それが自分の意思100%になるわけだから急に主体性を伴うものになる。
もちろんやることができる環境にするのが目的なんだからいいこととなんだけど、物事によっては決して楽ではない気もする。
もしかしたらやらなきゃやらなきゃって言って誰かに強いられてる風を装う方が人間にとって楽なのかもしれん。とさえ思った。
だからこそちゃんと自分の気持ちに目を向け
自分がこれをやりたいからやるんだー!!
って胸を張って言える人ってめっちゃかっこいいし、勇気を持って割り切ることに成功したら効果は抜群。
『面倒くさくてやってない』ことは消えると思った。
うちの雄猫(サスケ)は毎晩ソファで寝ずに自宅警備員してくれてます。
いつもお勤めご苦労様です。
おっしまい