最期なので、父自慢をさせてください。|#父の日
2017年11月17日
父・持田 勝 が72歳で永眠致しました。
長めの通夜を経て、昨日20日に葬儀を終えました。
「俺はいいけん、仕事しろ。稼げよ」と。
実家に寄る度に父が掛けてくれていた言葉に甘え、私の仕事の都合で葬儀を先延ばしにした形です。
「ゆっくりお別れができたから、いいのよ。お父さんをお風呂にも入れてあげられたし(湯灌をしました)、上等なお酒も飲ませてあげられたからね」と励ましてくれた母には感謝しかありません。
私はいつまでも両親に甘えています。
13日(月)に夫と娘と3人でお櫛田さんでの七五三参りを終え、着物姿を見せに実家に寄って過ごした時間が最期の団らんになりました。
その際ベランダで家族写真を撮影したところ、母も夫も聞き取れないような小さな声で「これが最後、かな〜」と呟いた父。
私だけがその言葉を耳にする中、聞こえないふりをしていたこと。
和室で再びラジオを聴き始めた父の顔を眺めながら、「本当に長くないかもしれない」と誰にも言えない感情を押し殺したことが思い起こされました。
通夜から葬儀までの間、すっかり冷え切った父の額や頬に何度も触れました。でも、小さな骨壷に収まった今となっては、それもできません。
この後は、生前の父の希望もあり、未熟児で生まれて1週間で亡くなった私の弟の遺骨と共に、海洋葬にて見送る予定です。温かい春の海を待ちたいと思います。その頃には涙も出尽くしていると信じます。
7月に肝硬変と診断され、余命2年の宣告を受けながらも、"少し先のこと"を考えて日々を丁寧に生きてきた父でした。
私の名前である「百合子」に因んで、来年の6月に百合の花が咲くように、ベランダに球根を植えてくれていたそうです。
「俺、まだ死ぬ気なかったじぇ」と思っているんじゃないかなぁ。
うまく咲かせられるだろうか。
それなのに私自身は、父が入院する少し前…
6月の誕生日を迎える辺りから「来年はお祝いできないかもしれない」という予感と覚悟を抱いていました。
いざ入退院を繰り返すようになる中でそれが現実味を帯び、自分の勘の良さが今回ばかりは外れることを願っていたのに。とても、心残りです。
でもその悔いは、「もっと◯◯をしてあげたかった」という類のものではなく、「お父さんの意見や考えに、もっと触れていたかった」という類のものなんですよね。
「今西錦司って誰なん?(父の書斎にある本)」「チバニアンっていう名称どう思う?(父がスクラップ用に準備していた新聞記事)」「あの商品にどんな印象を持つ?(CMを見ながら)」そんなやりとりをこの先共有できないことを、私は心底寂しく、不安に思っています。
振り返ってみても、私が父にしてあげられたことというのは大して何も無いのです。やはり、与えてもらったこと、してもらったことの方が多い。
そこには圧倒的な差があります。
幼稚園の頃には、自転車の補助輪を外すための練習に付き合ってくれました。
「後ろ支えててね」と言う私に「分かったから前見てしっかり漕げ。後ろを気にするな」と言って、知らぬ間に手を離してしまうような人でした。人に安心を与える間合いが上手な人で、それをすんなり信じた私は苦もなく補助輪を外すことができました。
小学生の頃には、ランドセルを背負って入学式に向かう日の朝に、「お前も今日から小学生か。じゃぁこれからは自分の責任の範囲で行動しろよ」とお祝いの言葉をくれました。
子どもには分からん・早すぎるという扱いは一切せず、「信じて任せる」スタイルを示してくれた人でした。その裏で、行き詰まっていることには手を差し伸べてくれる人でもありました。
小学5年生の頃に通っていた塾で算数の成績が伸び悩んでいる中、「おとう塾」と称して塾から帰宅した直後の30分〜60分、勉強を教えてくれました。
あの頃最も苦手だった図形の問題を前に「お前、空間処理能力がないなぁ」とため息をつかせてしまったのが悔しくて。それがキッカケで奮起し、苦手を克服。何に対しても立体的に捉える癖がつきました。
あれは父の戦略だったのかもしれません。
中学生の頃には、JAZZが好きな父を喜ばせたくてSAXを吹くために吹奏楽に入部。
Take Five、St.Thomas、Autumn Leaves、Moanin…どれも演奏のチャンスは無く、私も聴いて楽しむ派に落ち着きましたが、音楽の趣味を父と共有できたのは後の楽しみにも繋がったと感じています。
思えば、手帳はノックスブレイン、時計はジャガールクルトと決めたのも、父の影響です。物持ちが良く、選んだものからスタイルが浮かび上がるような人でした。
作法は母から、嗜みは父から。
そんな風に受け取っています。
他にも中学の終わりにはこんなことがありました。仕事から帰ってきた父が「百合子、お父さん仕事辞めてもいい?」と突然聞いてきたんです。
一家の行く末に関わる大切な話を、ちゃんと子どもにも共有してくれる。しなやかさの中にも、一本筋の通った人でした。
高校の時には、私がしょうもない人としょうもない付き合いをしていて。そのことで母が激怒し「あんたを殺して私も死ぬ!」と包丁片手に私をベランダから突き落とそうとしたことがありました。
その後ろで父が「まぁやる時はやるけんなぁ」とウィスキーを片手に一言。
誰だっていつかセックスはするもんだと、母を嗜める一幕がありました。娘の素行に対してどっしりと構えた父は本当に格好良かった。あれ以来、男の人を見る目は上がったと思います。
大学の時には、随分とがっかりさせました。
そもそも身内のほとんどが県内屈指の高校の出身で、大学や就職先もそれなりのところである中、なぜお前はそこなのか。更に4年大に通いながら大したテーマも持たずに、勉強らしい勉強もせず何をしているのかと。
そんな私に、「お前、一生に一度でいいから俺に『もうそんなに勉強するな。体壊すぞ』って言わせてみろ」と、ある時父はついに重い口を開きました。
今まで見たことがないような情けない顔をさせていることに、そこでようやく気がつきました。
父が、「もうお前、そんなに仕事するな。体壊すぞ」と心配して声をかけてくれたのは、そこから数年経って私が社会人生活を送るようになってからのことです。
朝7時〜8時には家を出て夜中の2時〜3時まで働く私の姿を、父は心配しながらも、多分誇らしく思っていたのだと思います。最近でこそ「長く働けば良いというものではない」という意見で一致していましたが。
"easyな方向に行くな。迷ったら難しい方を選べ"
"まーだ成果が出とらんやろうが"
ストイックに結果を求める姿勢は、
こうした父とのやり取りの中で養われたと思います。
個人事業で独立した時からは、
特にアドバイスらしいことは言わなくなりました。
結婚して子どもを産み育てながら、
夫の遥くんと起業してからは、尚更です。
「お前らのやってることは良くわからん。考えがあるんやろ?後はやるだけやろうもん。しっかり稼げよ」
そんな調子で、新しい道を歩む私たちを、ただただ見守ってくれていた父です。
夫の遥くんと結婚してからの4年間、父は本当に楽しそうでした。一緒にお酒を飲みながら知的な会話ができる相手ができて、張り合いが生まれたように感じます。
最後は遥くんが般若心経を唱えてくれて、感動しました。父ならきっと「お前、前世は坊さんやろ!」と言っているに違いありません。
また、娘が生まれてからの3年間は、優しくて最高に面白い「じーじ」でいてくれました。私もあんな風に育ててもらったんだろうなと。覚えていない年の頃の自分と父の姿を良く想像しました。
娘の記憶にちゃんと残っていくように、
私はこれからも折に触れて父の話をするでしょう。
お父さん。
大好き。
育ててくれて、ありがとう。
これからも勝手に、お父さんから学びます。
あぁそうだ!
小学校に上がる前の話。「辞書引き」のことを書き忘れるところでした。
「お前まず自分の頭で考えろ。それでわからんなら家中の辞書で調べろ。うちにはブリタニカもある。それでも分からんなら、そこでようやく俺に聞け」
自分で問いを立て、答えを導き出す。
私が父からもらった命の次に大きなギフトが、これです。
思い出は尽きません。まだ書いていたい。
でも、今日12時からは仕事を再開します。
まだ私にはやるべきことがあるから。
お父さん。72年間、お疲れさまでした。
また、逢いたいなぁ。
あとがき
もうすぐ「父の日」ですね。世の中にある無数の親子のストーリーの中から、私の父自慢にお付き合いくださり有難うございます。
実は、今日2023年6月13日は父の誕生日。
生きていたら78歳を迎えている日でした。
思えば、父が亡くなった2017年は、
夫と起業して2年目の年。
会社が軌道に乗りはじめたというには程遠いものの、『夫婦会議®︎』の専用ツール「世帯経営ノート」をリリースし、拠点を置く福岡市からはトライアル優良商品に認定いただくなど、少しずつ『夫婦会議®︎』の事業がカタチを成していくタイミングでもありました。
「未来を担う子どもたちに、より良い家庭環境を創り出していける夫婦であふれる社会」を目指し、2015年に子育て支援会社として『夫婦会議®︎』の事業を開始した私たち夫婦。
▼Logista株式会社
起業に至るまでにも、産後うつ・産後クライシス・離婚の危機など紆余曲折があり・・・父にも母にも随分と心配をかけてきました。
幸い、母は健在ですが、受けた恩を返す間も無く去ってしまった父には「もうちょっと長生きしてほしかったなぁ…」と(笑)事あるごとに、どうにもならない悔しさを恩送りの精神に切り替えながら、社業に邁進してきた日々です。
父が亡くなって間も無く6年。
私が、父と子でいられた時間は、
たったの33年間でした。
9歳になった娘と、1歳7ヶ月の息子にも、いつかこうして大切な人を懐かしむ日が訪れるように。
子どもたちの「父」であり、私の「夫」と育むこの家庭が、子どもたちにとって「振り返りたくなる過去」になっていくように。
大切な人と一緒に生きられる時間を、
今日も一番大切に過ごしています。
このnoteに出逢ってくださったあなたも、
大切な人を大切にできる自分でいられますように。
気の向くままに、また書きます。
縁があれば、またぜひ読みにいらしてくださいね。
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ミュージック・セレクト
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『Logista株式会社』
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“わたしたち”で答えを創る『夫婦会議®︎』。
Logista株式会社は、『夫婦会議®』の事業を通じ、子どもたちにより良い家庭環境を創り出していける夫婦であふれる社会を目指す、子育て支援企業です。主に、結婚・妊娠・産後・育児期の夫婦の対話とパートナーシップを育むための『夫婦会議』のツール・サービスの開発提供を行っています。
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『夫婦会議®︎』とは?
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『夫婦会議®︎』とは、人生を共に創ると決めたパートナーと、より良い未来に向けて「対話」を重ね、行動を決める場のことです。
自分一人の意見を通すため・相手を変えるために行うものではなく、「わたしたち」で答えを創っていくためのもの。特に育児期においては、わが子にとって、夫婦・家族にとって「より良い家庭環境」を創り出していくことを目的に行います。
※『夫婦会議®︎』はLogista株式会社の登録商標であり、日本初の夫婦の対話メソッドです。模倣サービスにご注意ください。
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『夫婦会議®︎』のツール
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・夫婦で産後をデザインする「世帯経営ノート」
・夫婦で未来をデザインする「夫婦会議ノート」
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