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苦しみの原因とヨガの智慧
私たちは、時に思い悩み、不安や怒りを感じ、苦しい、辛いと感じることがあります。
私は特に、不安を感じやすい性質を持っていると感じています。 それが生まれつきなのか、育った環境の影響なのかは分かりません。
しかし、今はそれを認識できるようになり、不安や心配は自分が創り出しているものだと理解しています。 だからこそ、それは一時的なものであると受け止められるようになりました。
また、健康を損なうと不安になりやすいことも分かっています。 だからこそ、睡眠不足が続いたらまず整えることを優先し、 メンタルが弱っていると感じたら、無理をせず、十分な休息を取るようにしています。
ヨガが教える「苦しみ」とは?
私たちが避けたいと感じる感覚や、行動を止めてしまう恐れなどを、ヨガでは「苦しみ」と定義しています。 サンスクリット語で「ドゥッカム(Duḥkham)」。
この言葉を口に出してみると分かるように、 苦しみは内側がキュッと詰まり、空間がなくなっているような状態です。
ヨガでは、この苦しみには原因があると考えられています。 そのもっとも大きな原因は、「誤った理解」——つまり「無知」です。
無知が生み出す恐れ
たとえば、夜の暗い山道で、道に迷いながら歩いているとしましょう。 足元に何かが落ちているのを見つけ、近づいてみると——
「ヘビ!!!」
一瞬で身体は緊張し、恐怖で足がすくんでしまいます。
しかし、ライトを当ててよく見てみると、それはただのロープ。
ロープだと正しく認識できたら、怖いという感情は生まれません。 つまり、「知らない」という無知ではなく、誤って「ヘビ」と思い込んだことが恐れを生み出していたのです。
欲と執着が心を乱す
次に、
「あれも欲しい!もっと欲しい!」
という欲。
欲しいものが手に入らないと、焦りや苦しみを感じ、時には怒りさえ生まれます。
もちろん、欲は悪いものではありません。 しかし、欲がマインドを乱してしまうと、苦しみへと変わってしまうのです。
さらに、「嫌だ!」「怖い!」といった強い拒絶や恐怖の感情。
ヨガでは、こうした心の不純物を「クレーシャ(kleśa)」と呼び、 これこそが苦しみ(ドゥッカム)を生み出す原因であると考えます。
クレーシャ(kleśa)が生まれる理由
私たちの心の中で、さまざまな要素がごっちゃになっているからこそ、 クレーシャ(kleśa)は生まれます。
自分の本音と怖さが混ざっている
何を求めているのか分からなくなっている
欲望と期待が入り混じっている
変えられない他人を変えようとしている
この混乱した状態を、明晰な状態に導くために、ヨガ・スートラ第2章-29では「八支則の実践」を説いています。
八支則(アシュターンガ・ヨーガ)
Yama-niyama-āsana-prāṇāyāma-pratyāhāra-dhāraṇā-dhyāna-samādhayh-aṣṭāu-aṅgāni
ヤマ(Yama)、ニヤマ(Niyama)、アーサナ(Āsana)、 プラーナーヤーマ(Prāṇāyāma)、ダーラナ(Dhāraṇā)、ディヤーナ(Dhyāna)、 サマーディ(Samādhi)、アシュタウ・アンガーニー(Aṣṭāu Aṅgāni)。
『これらの八つを長く続けることで、内側の不純物を減らし、 私たちの本来持っている叡智(内なる光、知識)が表れ、 完全に明晰な状態になっていく』
と、ヨガ・スートラは教えてくれています。
ヨガの本質はポーズではない
現代では、ヨガといえばポーズが注目されがちです。 しかし、本当に大切なのは、その土台となる教え。
家を建てるときも、しっかりとした基礎がなければ長くは持ちません。
また、自分にとって心地よいことばかりをしていても、それは砂上の楼閣。 一時的な快感があっても、また同じ苦しみに直面することになります。
ヤマ(Yama)——社会の中での在り方
八支則の第一ステップである「ヤマ」は、社会の中での在り方を示しています。
アヒムサ(Ahiṁsā) —— 他者を傷つけない
サッティヤ(Satya) —— 真実を話す
アステーヤ(Asteya) —— 盗まない
ブラムハチャリヤ(Brahmacaryā) —— 誠実に接する
アパリグラハ(Aparigrahā) —— 執着しない
いつからでも実践できる
人は誰しも、心の不純物(クレーシャ)を持っています。
でも、いつからでもヤマの実践を始めることができる。
そうすることで、少しずつ、でも確実に心は軽くなり、 本来の明晰さを取り戻していけるのです。
それこそが、ヨガが私たちに与えてくれる光なのです。