永遠の0
今さらですが小説の方を読みました。最終章に泣きどころが詰まってました。映画やドラマは観てません。
日本に特攻隊というものがあったことはもちろん知っていました。というか、私の祖父がそうでした。でも出撃の前日に日本が終戦を迎えたので、その後愛すべき「大好きおばあちゃん」と出会い、母が産まれ私が産まれました。
その祖父は私が6歳のときにガンで亡くなったのですが、知らせを聞いたとき号泣したのを覚えています。
祖父が生きていたときの記憶といえば、私がいつも持ち歩いてるくっさいタオルを顔にかぶせて「たすけてくれ〜!」と遊んでたのと、
「ほっぺにチューしてよ」と私に言ってきたときに恥ずかしがって何もできなかったことです。
この二つは私の記憶の片隅の断片にすぎないのですが、死と隣り合わせの時代を生き延びた祖父にとってはこういう瞬間ひとつひとつが奇跡だったに違いありません。
特攻隊というものと祖父がそれだったことも知っていたのに私は、特攻隊の人たちの生の声をこの小説で初めてありありと聞いたものだから、なにか遠い時代の遠い国の話だと思ってたことが、私が毎日生きて暮らしている足元の土の底からのメッセージに思えてきて、私が今まで生きてきて受けた傷や痛みが全てとるに足らないものに思えてきて、
そして戦争が人類の犯した一番大きな過ちだということ、「もう二度とこんなことを繰り返さないでくれ」という、戦死した何百万人もの日本人の悲痛な叫びを後世に語り継いでいかなければ彼らは報われない。これは現代人の義務だと思った。
いろんな読み方があると思いますが、私が一番関心をもったのは、死ぬことを前提に突撃させる作戦を国をあげてやるという発想がどういう経過を経て現れたのかどうしてそんなことが認められてしまったのかです。(一応大学受験で日本史をかなり勉強してはいましたが、当時はその辺に関心・感情をもって取り組めていなかった^^;)
この小説で何度も書かれているのは、
「死ぬこと自体は怖くない」
「生き残る可能性がわずかでもある戦いと、はじめから100%死ぬとわかってる突撃は全く違う」
「愛する者尊敬する者のために死ぬ、もしくは自分より強い者に殺されるならいいが、国のため天皇陛下のために死にたい人なんかいない」
ということで、このような感情は当事者でなければ理解できないからリアルでした。
仮に彼らのことを、お国のために喜んで身を投げた、洗脳されていたんだと捉えたらそれこそ遠い国遠い時代の他人事のように思えるが、
そんなことは断じてないとなれば、彼らも今ここにいる私と同じ感情をもった人間、生きる権利を与えられていたはずの人間であり、それすらも剥奪された彼らに「何があってももらった命は大事にしなさい」と言われているように思う。
特攻隊の話に入りこんでしまった私にとって、宮部と松乃の愛の物語はあくまでオマケのようなものであり、これをクローズアップしてしまうと確かに戦争や特攻隊を美談にしているという批判はでてくるかもしれない。けどこの小説の印象としては、太平洋戦争で実際に戦地にいた人たちのリアルな話を聞いていくという貴重な資料と思いました。
だから私のように戦争してたことは知ってるけどそれがいかに悲惨なものだったかは知らないし聞きたくもない、という日本人は読むべきです。