コケットリの表象;貴族社会を主流とした西欧女性服飾において
裸身への罪悪感の無さから、幕末頃「原罪前の楽園の国」と評された国、日本。その裸身とは、官能美への賛嘆を喚起する理想的身体を意味するヌードというよりか、そうでないネイキッドと呼ばれる種類のものであったがしかし、現在の日本ではどうだろう。理想的身体なるヌードというものは指標として間違いなく存在するが、まだまだ裸身を官能美よりも猥雑な視線で捉え、消費する価値観のほうが、割合として優勢ではないだろうか。以降、女性の裸身による官能美と着衣の美との関係性について、どう発展し、最終的に日本の服飾とどのような関連が生じたかについて、述べていく。
裸身との対比的状況として、衣服を纏った状態、というのがある。日本におけるヌードについて考えるなら、ヌードの概念と表裏一体の洋装を対比の条件に据えるが望ましいと思われる。日本において女性の洋装の黎明を象徴するのは、明治時代の皇室の装いである。『豊饒の海 春の雪』冒頭には、皇室女性の洋装を描写した場面がある。『豊饒の海 春の雪』は、夭折を繰り返し輪廻する主人公の魂を描いた四部作の第一部、悲恋をテーマとした三島由紀夫の小説である。
主人公である侯爵家嫡男の松枝清顕は、宮家との婚姻が決まった幼馴染で伯爵家令嬢である恋人の聡子と密通し、子を孕ませ、現世を見限った聡子の出家により面会を拒まれ、恋焦がれて夭折する。清顕の容態が悪化し、聡子を訪ねた寺院の門で倒れる寸前に、彼は今生の集大成かのような感慨を得て、聡子に恋する伏線となる女性美に目覚めた日の走馬灯がよぎるのであった。その場面に当たり、三島はこう書き記した。
女性美の憧憬の萌芽。明治時代から大正時代にかけての華族の不義密通を輪廻転生の観点を交えて描いたこの小説の女性美の本質は、江戸時代のそれの系譜を引いてはいるものの、国の西欧化に伴い変質したものだと仮定することができる。それは以下引用文、国策として皇室の服飾が西欧化されるためである。
三十そこそこのお年頃である春日野宮妃は、ローブ・デコルテを着用し、花の咲き誇るようなお姿であったと描写されている。彼女の着ているものがもはや日本の伝統服飾ではないことが、日本における女性美が西欧化に揺らいだことを象徴しているかに思われる。現実にも、1910年頃(明治40年代)の皇室女性の服飾に、「昭憲皇太后大礼服(マント―・ド・クール)(共立女子大学博物館蔵)」なるものが伝世しており、この現象は小説の脚色ではないことがわかる。
理想的身体なるヌードと、それを彩る下着、下着が発展した装飾との関係性は密なものであり、貴族社会の社交の中で発展してきた文化のなかに位置づけられる。社会学者ゲオルグ・ジンメルは著書『社会学の根本問題』のなかでこう述べる。
彼の言葉を借りていうならば、貴族階級を主流とした西欧女性服飾における、下着から装飾への発展は、これこそが「コケットリ」、「遊戯」、「社交」の具象であろう。冒頭部の問題提起との関わりであるが、一介の生活者の中にも、社交的文化における遊戯であるコケットリを解し、理想的身体なるヌードおよび、その暗喩である服飾ー装飾された身体ーを美として鑑賞する視線を持って然るべきと思う。
そしてそれは、原罪前の楽園の国と評された日本にも見られる、裸身への罪悪感の無さが欧米に取り入れられる伏線となり、有り体にいえば、西欧における身体論としてのジャポニズムの萌芽では無かったか。この現象は100余年ほどかけて西欧女性服飾の中で成熟し、日本の皇室女性により洋装が公のものとなる頃ー時は明治時代ーを契機に、また日本へと還って逝くのである。
〈参考文献〉
『世界服飾史』深井晃子監修(3.16世紀 徳井淑子,4.17世紀 古賀令子,5.18世紀 周防珠美),1998,美術出版社
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