日本語と建築
日本語で話すときは、頭の中も日本語。
英語で話すときは、頭の中も英語。
頭の中でいちいち通訳していたら、とても思考が追いつかない。
日本語では言いにくいけど、英語だと言いやすいことも少なくない。
その逆もしかり。
使っている言語を切り替えると、そもそも、脳のモードが切り替わっているように感じる。
日本語で考える自分と、英語で考える自分。
ある意味、性格も少なからず変わっているのかもしれないと考えると、とても面白い現象だと思う。
実際にこれは、単なる私の経験知的な話ではなく、いくつもの研究ですでに明らかになっている。例えばこんな研究。人間は〈概念〉を通して世の中を知覚する。〈概念〉は、言葉という媒体をつじて形成される。となると、操作する言葉が変われば、私たちの世界の見え方が変わるのだ。
空間と言語
槇文彦が、脳科学の視点から空間と言語の関係性についての論考を書いている。
一般的に読み書きしたり、物事を論理だてて思考するときには左脳が働き、芸術作品を鑑賞したり、直感的な判断をするときには右脳が働くと言われている。
多くの西欧諸国の言語が、アルファベットしか使わないのに対し、日本語は漢字・仮名・カタカナと様々な文字を基本とする。アルファベットで構成された情報をを脳にインプットすると記号処理を行う左脳だけで事足りるが、日本人は、漢字・仮名・カタカナを脳にインプットすると、文字を記号として認識するのと同時並行に、右脳でビジュアル的にも認識している。
言葉を脳でどのように処理かによって、美的感受性や空間認知方法が変わってくるというのは、めちゃ面白いし、これが日本語という言語の本質的な魅力をつくり出しているのではないだろうか。
日本語の空間 -曖昧な境界-
ここからは、日本語で思考された空間の具体的な空間的特性について考えていきたい。
例えば、建築家の伊藤豊雄はこんなことを言っている。
確かに日本の建築空間は、境界がとても曖昧である。
境界が曖昧ということはすなわち、物理的な要素で空間の境界が線引きされていないということ。
これは、どこか矛盾しているように感じられるかもしれない。
境界は明確に区別されているからこそ、境界たりうるのではないのか?
『街並みの美学』で芦原義信が指摘するように、そもそも建築とは「内」と「外」を区別するための装置であり、明確な境界線を必要とするのものではないのだろうか?
しかし、この境界の曖昧さこそが、西洋の建築空間との違いを際立たせている要素であり、ある意味、日本建築の本質的な魅力を醸し出しているといえるのかもしれない。
では、曖昧な境界はどのように造られ、「場所」をどのように定義してきたのか。
◆ 「床」の建築
日本建築の境界の在り方について考えるときに避けて通れないのは、(皮肉にも)「建築とは境界をつくる技術だ」と指摘していた、あの芦原義信の一節。
芦原先生によれば、西洋の建築が「壁の建築」であるのに対して、日本の建築は「床の建築」であるらしい。
これはある意味、気候風土やその地域で利用可能な建築素材などに起因する必然的な違いである。冬の寒気が厳しく、湿度も低い西洋諸国では、石や煉瓦を積み上げて作る分厚い壁で内部と外部を物理的に遮断し、外部の厳しい気候から内部を守る必要があった。
一方、日本という高温多湿な国における建築は、木造の柱と梁を主な構造体としており、壁は最小限必要なところにしか存在しない。これに加え日本人は、自然と一体化することへの意識が強く、開放的で、内部と外部が連続的につながっている環境を好んできた。このことは、兼好法師の一節からも明らかである。
西洋の建築においては、壁で囲まれた空間がある特定の機能を持つ「場所」として定義され、物理的にも感覚的にも明確に区別される。その一方、日本の建築は、特定の場所に機能を紐づけることはしつつも、その境界には基本的に壁は存在せず、あるとしても、可動性のある建具を用いた仮の遮断であることが多い。障子や襖などといった、左右に開閉する日本特有の建具は、ガッツリ線引きをしたい西洋的観点からすると、全く機能的でないのだろう。
◆ 「間」の概念
ここまで「場所」という言葉を使ってきたが、日本人はこれに「間」という日本語を当てている。土間、床の間、客間、居間、広間…。それ以外にも、特に旅館や日本食のレストランなどにおいて「○○の間」と命名された部屋はよく目にする。
「間」という言葉は、英語に直訳しにくい。単に "the space" と訳されることが多いが、「場所」ではなく、あえて「間」と言っているからには、正確には "the space in between" ではないだろうか。
すなわち、日本の建築空間というのは、絶対的に定義されるものではなく、何かの間 (in between) にある、広がりを持つ存在であり、何かと何かの関係性において定義されるという性質が、強く意識される。
さらに興味深いことに私たち日本人は、この「間」という言葉を空間以外の文脈においても使っている。
「昼間」「晴れの間」といった時間的な広がり。
「仲間」「間合い」といった人間関係の広がり。
これらの見極めを誤ることを「間が悪い」や「間違い」という。
日本の建築空間における曖昧な境界がもたらす感覚は、建築物の構造や住まい方を規定するだけでなく、日本人の美意識や倫理と結びついている。
◆ 「心」の境界
さてここまで、物理的な境界で空間を仕切ることを嫌うのが日本の建築空間の特徴であるとを述べてきたが、ここ面白いパラドックスがある。
日本の建築は物理的に場を区別はしないものの、区別そのものがないという意味ではない。物理的な境界は曖昧であるのに、いや、むしろ曖昧であるからこそ、日本人は内側と外側を激しく区別する。
この最たる例は、靴を脱ぐという習慣。家を聖なる空間と捉え、外部の邪悪な気やケガレの内部への侵入を防ぐための風習が、現代にも根強く残っている。私たち日本人は、家には「入る」のではなく「上がる」と言うし、私自身小さい頃から、人様の家に上がるときは、靴を脱ぐだけでは事足りず、白い靴下に履き替えるのが礼儀だと、母に叩き込まれて育った。
居住空間に限らず、日本の建築空間には、内と外、すなわち聖と俗との区別を表示するための仕掛け(=越境装置)が散りばめられている。先に例に挙げた襖や障子以外にも、生垣・籬・門・敷居・格子・暖簾・沓脱石・手水鉢など、越境装置は多く存在する。
これらは、物理的には境界として何の役にも立っていない。越境装置と言ったはいいが、その気になればいとも簡単に越境できてしまう。これらの意味が共通認識として理解されていることが前提となり成立する心理的な境界であり、意識が切り替わることを「越境」と定義しているのである。
日本語を誘発する空間 -茶室-
越境装置は、俗世から聖なる領域へと越境するための儀礼を促している。すなわち日本空間における認識的境界は、単なる象徴なのではなく、身体の物理的な動きを促すことで心が切り替わるよう仕向けているのである。日本建築の粋さは、こういうところにある。
これを最も体現化しているのが、茶室と露地。
露地とは、日常の俗なる世界から、非日常の聖なる空間へと向かうために、心の持ちようを整える空白の領域として機能する。
つまり、茶室と露地は越境装置のオンパレードなのだ。それを物語るように、茶室と露地を構成する越境装置の名称には必ずと言っていいほど動詞が含まれている。
そもそも日本語には、心の状態と動作が一体となった動詞が多く存在するように感じる。(主観ではあるが)こういった複雑な動詞が直訳しにくいことからも、日本らしい空間とはもしかしたら、そのような動詞を誘発する空間なのかもしれない。
露地に散りばめられた越境装置が促す日本語の動詞を、順に見ていこう。
◇ 中潜(なかくぐり)
外露地と内露地との間に立てられた、壁のような門。躙口のような小さな穴をまたぎ、潜ることによって、客は無心になっていく。
◇ 飛石(とびいし)
伝い歩くために、少しずつ離して飛び飛びに据えられた、上面の平たい石。露地では、客は飛石を伝い歩いて、茶室の入口に到達する。
◇ 蹲踞(つくばい)
お茶席に客が入る前に、手を清め、口をすすぐために置かれた手水鉢と役石などのこと。手水鉢の前にしゃがんだ体制で手をゆすぐことに由来している。内田繁いわく蹲踞は、世俗の汚れをすべてはらうための重要な装置。
◇ 腰掛(こしかけ)
露地に設けられた、客が腰を掛け、静かに亭主の挨拶を待つための休息所。「腰掛待合(こしかけまちあい)」ともいう。
◇ 躙口(にじりぐち)
客が茶室に入るための、高さ・幅60cm四方ぐらいの狭い開口。茶室の内部空間の非日常性をより演出する。
言葉にしにくい日本文化の本質
茶道、香道、書道、華道、能…
日本の伝統文化は、胸を張って世界に誇れるものであると言える。
一方、日本の伝統文化は、敷居が高く、真の魅力が伝わりにくいのも事実である。いやむしろ、その「わかりにくさ」というのは日本文化の重要な特徴であり、そこにこそ本質的な価値があると言える。
情報に溢れ、「価値」の定義がますますあやふやになりつつある現代の消費社会においては、瞬間的に理解できる価値や、価値があるように見えるにすぎないものに脚光が当たりがちだ。
このような社会のなかで、日本文化を広めることを試みている人はたくさんいるが、どうしても表面的なところだけが独り歩きしているような印象を受けるのはとても残念だ。
日本文化の「わかりにくさ」は、その複雑さ、奥深さと言い換えることができ、理解するのに時間がかかる。しかも日本文化を存分に楽しむためには、背景として様々な知識や体験がないとなかなか厳しい。
情報過多で変化の急な現代においては特に、ものごとの価値を簡潔に伝えることが大切なのは確かだ。だからといって、現代ではあらゆることがあまりにも単純化されすぎているのではないか。
わかりやすい価値しかない世の中でいいのだろうか。
書家であり私の母でもある村田清雪は「1000年残る作品をつくりたい」とよく言葉にする。
私はこの言葉を聞いて、この日本文化の本質的な価値を国境を越えて伝えていくことをライフワークにしたいと思った。
日本の伝統文化の魅力を、一つ一つ丁寧に紐解いていくことによって、日本文化の本質の理解を少しでも深め、言語化し、そのままの形の、そのままの価値を、世の中のもっと遠くへ広げていきたいというのが、私の夢である。