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【エッセイ】エイト

未就学児なんか連れてきちゃいけないような、薄汚いビルとビルのあいだ、路地裏とも呼べないような狭い狭いすき間を通りぬけたところに、その店はあった。

名前は「8」(エイト)。
ミックスジュースを出すお店。

甘いものなんてこの世に不必要だとでも思っていそうな、気難しそうな顔をした無口な白髪のおじいちゃんが、ガガガッと大きな音でミキサーをまわしている。

ビルとビルのあいだの長い通路を通り抜けたおかげか、ほぼ真下に道頓堀川を見ることができた。

常にあるメニューは、ミックスジュースと、バナナジュースと、メロンジュース。
ほかに、季節によって、いちごなんかがあったり。
ホステスさんを同伴するようなお店、通路とは打って変わってバーみたいなお洒落な店構え、今で言う道頓堀のグリ下という場所のため、そのお店のジュース自体、結構なお値段がしたはずだった。
未就学児の私は、きっとそのお店のメニューのなかでも一番高かったであろうメロンジュースばかり飲んでいたものだから、ほかのメニューは、あまり覚えていない。

道頓堀の「はり重」というお高い洋食屋で、祖父に分厚いビフカツを食べさせてもらったあとは、必ずほぼ向かいにある薄汚いすき間を通って「8」に行った。
祖父はいつもバナナジュースで、私はいつもメロンジュース。
祖父がひとくち飲んだあとに必ず「やっぱりバナナやな。」と言うものだから、私は張り合うように「やっぱりメロンやな。」と、いつも言った。
でも、やっぱりバナナジュースもひとくちもらっていた。
私は、なんにも知らない、豊かで幸せな、生意気な子どもだった。

私が小学校にあがって1年と少しした頃、祖父は死んだ。
そのあとも、思い出を掘り起こすように、ときどき父と、その店に行ったのだが。
数年経って、その店は、シャッターに「8」と書かれた大きな紙を何年も貼り付けたまま、開くことはなくなった。
幼い私の印象のとおり、やはり気難しかったマスターは、店を手伝っていた自分の娘にすらレシピを教えることなく、亡くなったそうだ、と、風の噂で聞いた。

私は、祖父にとって、10人中10番目の幼い孫だった。
10人中の初孫となる従兄弟は、私より20歳も年上。
関東に住み、年も離れ、冠婚葬祭のときに会うのみ、ほとんど接点がなかった。

その従兄弟が、今日、遅刻ギリギリに参加した法事のときに言ったのだ。
大阪に来たら、ミックスジュースが飲みたくなって、早い時間に新大阪に着いていたのに、つい道頓堀周辺をブラブラしてしまった、と。

その従兄弟も、大阪に来たら、必ず祖父に「8」に連れていってもらっていたのだ。
彼にとって、大阪は、「あのジュース」のまち。
あの店のあるまち。

そして今日、私にとってその店は、接点の少ない従兄弟との思い出を共有した店になった。
孫10人、みんなそれぞれ「8」に来ていた。
私は、彼とは20歳も離れているし、10人のなかで一番幼くて生意気な、無知で小さな孫だったけれど、やはりもれなく、10人の孫のひとりだったのだ。

今も、百貨店やショッピングモールに行けば、あの懐かしいミキサーの音が聞こえてくる。
娘が飲みたいといえば、飲むこともある。
でも、どのジュース屋さんも、「8」ではない。
あの味は、もう一生飲めない。

それは寂しいことなのだけれど、久々に会った還暦近い随分年上の従兄弟の言葉で、とてもあたたかいものが、胸にこみあげたのだった。



【あとがき】
久々に、真面目な文章を書いたような気がします。
6月に休職して以降(もうとっくに復帰したけれど)、ほぼ日記ばかり書いていたので、「あれ!?こんなに難しかったっけ!?3月ぐらいの方がスルスル書けてた気がする!」と、少し戸惑っております。
何が言いたいかと言うと、note初心者に戻ったような気がする、ということです。
でも、だからといって、今日せっかくこみ上げた感情をのせた文章をあげないままでいると、もうずっと真面目な文章を書くことができないかも…、と思ったので、恥をしのんであげました。
しかもタイトルに「【エッセイ】」とまで付けて!
ふざけるときはふざけるけれど(主に他人様のコメント欄にて←おい。)、気を引き締めなおして、自分のnoteを頑張っていこうと思います!

しっかし、エイトのメロンジュースが飲みたくなっちゃったな〜。
あの世で、あのおじいちゃん、ジュース作ってたりするかな〜。
そしたら、真っ先に飲みに行こ〜♪
よし!死んだあとの楽しみができたぞ!

そして、今日の法事、実はおじいちゃんじゃなくて、おばあちゃんの方の法事だったんだよね〜。



※画像は「写真は呼吸〈こさいたろ〉」さまのものをお借りしました。ありがとうございます。




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