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アンドレイ・タルコフスキー「ストーカー」
小正月の頃、まるで新年の恒例であるかのように、アンドレイ・タルコフスキー「ストーカー」のDVDを鑑賞しました。
昨年9月の展示の時に、鏡谷さんから頂いたものです。
これまでに観た「ノスタルジア」「サクリファイス」「鏡」に比べて、ストーリーが分かりやすく、エンターテイメント性が強い印象です。
とはいえもちろん、タルコフスキーの作品らしく様々な宗教的と言ってよい象徴性を帯びていて、魅了されました。
ある国に「ゾーン」と呼ばれる立入禁止のエリアがあり、そこへの案内人は「ストーカー」と呼ばれます。
ストーカーはゾーンを、このように説明します。
「20年程前、ここに隕石が落ちたらしく、村が焼け、それから人々が消えた。隕石は探しても見つからず、別の原因が疑われるようになった。危険地域として立ち入り禁止となると、ここには宝が埋まっているというような噂が立った。同僚はそれを、人類へのメッセージだと言っている」
1979年制作のこの映画は、1986年のチェルノブイリ原発事故を予言した、と言われています。
バスや戦車、建物が朽ちゆくままに残された無人の「ゾーン」が、事故で立入禁止となった地域の光景を連想させることは否めません。
ストーカーに案内され、客である「教授」と「小説家」はゾーンに足を踏み入れます。
ゾーンには願いを叶える部屋があると言われており、3人はそこを目指すのです。
モノクロだった画面が、ゾーンに到着した途端、カラーに変化します。
ストーカーは「真っ直ぐ行く道は危険だ」と、白いリボンを結んだナットを投げて、進むルートを決めます。
ゾーンは、人が入ってくると変化をはじめるのだ、とストーカーは話します。
ここで私が思い出したのは、ワーグナーの「パルジファル」の中のグルネマンツの台詞、「ここでは時間が空間に変わるのだ」です。
フィリップ・K・ディック「ヴァリス」ではこの台詞の引用の後に、こう続きます。
「パルジファルはじっと立ったままで、景色が変化した。変成したのだ。(中略)これが夢の時間である。夢の時間は過去にではなく現在に存在し、英雄たちや神々が住み、彼らの業が行われる場所である。」
ストーカーの言葉を無視して真っ直ぐ進もうとした小説家は、何者かから「止まれ、動くな」との警告を受け、引き返します。
警告を与えたのは、一体誰なのでしょうか。
「神聖な場所」であり「複雑な罠」であるというゾーンが問いかけているのは、人間の信仰の在り方ではないでしょうか。
神秘家は修行の過程で、自分が神にも等しい存在だという傲慢さを抱くことによって、躓きます。
従って修行は必ず、相応しい導師の元で行う必要があります。
ゾーンへの旅は、至高者との合一を目指す行程なのではないか、と私は考えたのです。
だとすると、導師であるストーカーが利益を目的としてはいけない、というのも納得がいきます。
様々な罠を潜り抜け、小説家と教授は、部屋へと辿り着きます。
しかし、自らの本性と向き合うのが耐えられない、という理由で、彼らは部屋に入らず、引き返すことになります。
彼らの選択は果たして、人類にとって良い結果を齎したのでしょうか。それとも……?
この作品にも、「サクリファイス」の息子の如く、救済者のように描かれる存在が出てきます。
ストーカーの、足の無い娘です。
足が無いということは、つまり悪行を清める必要がないということで、聖母マリアのように、原罪無き存在なのではないかと考えられます。
ラストシーンで娘は、念動力を顕わします。
彼女が人類の進化の可能性を示している、と見ても、差支えはないでしょう。
このシーンがゾーンでの描写と同じく、美しい淡い色調で描かれているところからも、人類の夢や憧れが込められているように、私には思えたのでした。
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