適応障害って、なんだ?#2 インサイド・ヘッド
2024年 夏。
日本列島沸騰とも言わんばかりの猛暑日が続いてますね。
我が家はというと、、、
私が休職中&子ども保育園休み&外は暑い&愛車のエアコンが故障、、、、、
もう車でお出かけも嫌や、、!
ワシは涼しいお部屋でゆっくりしたいんや!!
涼しいお部屋でチンカチンカに冷えたひやっこいルービーを飲みたいんや!!!
(私は関西圏出身ではありません)
ということで(どういうことで?)
家族4人、部屋のクーラーを付け、部屋を若干暗くして、ノートパソコンでピクサーの「インサイド・ヘッド」を観ることに。
ビールは飲まないことに、、。
巷では「インサイド・ヘッド2」が劇場公開されていますが、今回は1の話です。
※若干のネタバレ要素を含みます。
見始めて、少し話が進んでいくと、、、
「あれ?これ、主題が適応障害とか鬱になるプロセスじゃ?」
「なんだか、心の病になる過程がすごく分かりやすく描かれている気がする」
となり、これは映像作品なんだけど、、、なんだかまたまた他人事じゃなくなってきたなと、、。
(私は適応障害と診断されてから、いろんなものへの感情移入が少し強くなってきてます。いい意味でも悪い意味でも。)
うーん。
さすがピクサー。凄く綺麗な映像、テンポよく進んでいくストーリー、キャラクターの動きも素敵。
そして、脳内(インサイド)をキャラクターを介して外界に表現する(アウト)という着想、私は受け入れやすかったです。
(原題はインサイド・アウト)
なんかこういう妄想って、近しい経験は誰でもしたことあるんじゃないでしょうか?
頭の中に小人とか精霊とか天使とか悪魔とかが存在して、議論したり、行動を制御してたり、、。
ピクサーのインサイド・ヘッドはそれをとってもコミカルに、親しみやすく描いたもののような印象です。
そして、適応障害と診断された私にとって、なんだかこれまでの人生の振り返りをしているような、、既視感と、移入感が強く感じられました。
私は女の子ではないけど。
主人公の女の子、ライリーの幼少期(0~11歳まで)の体験や経験、思い出とともに、ライリーの頭の中を忙しくうごめく5つの感情たち。
ヨロコビ
カナシミ
イカリ
ムカムカ
ビビリ
ライリーの場合は基本的に「ヨロコビ」が主導権を握っていて、最初は「カナシミ」を活躍させないように必死な感じ。
これも、なんだか良くわかる。
私も悲しむことは良くないことだ、って思ってた時期があった。
でも、「ちゃんと悲しむことでしか、認識できないもの、得られないもの」が確かに存在する。
その辺が出来てくると「悲しいけど大切な思い出」とか「悲しいけど喜びも感じる思い出」とかが産まれてくる。
ライリーの体験を通じて「うんうん、そうだよね。そういうことあるよね。私もあったよ。」ってなんだか自分を客観的にとらえることができた。
なんと調べてびっくり。
映画のサブタイトルは
「これは、あなたの物語」でした。
うーん。恐るべしピクサー、、。
ライリーのお母さんは「カナシミ」が主導権を握っていて、お父さんは「イカリ」が握ってる。
なんだかこの辺も面白かった。
そして、どうやらインサイド・ヘッド2では先の5つの感情以外に新しい感情キャラクターも登場する模様、、。
新作は4歳の子どもと映画館で見れたら素敵だなと思った。
ライリーは、様々な出来事の中で「ヨロコビ」と「カナシミ」の“感情”を無いものにしてしまい、大切にしていた精神的支柱(依存先)の“島”を次々と壊していってしまう。
キッカケは、ミネソタの田舎からサンフランシスコへの都会へと引っ越したこと。生活環境や人間関係が大きく変わったことに対して、適応出来なかったのだと思う。
まさに適応障害の特徴なのでは、、と思う。
作品の中では、過去の思い出の力なども借りて“感情”を復活させ、“島”も再構築していくライリー。
でも、これは全員が簡単に出来ることじゃない。
出来たとしてもペースや取り戻しかたは個々人で違う。
ペースが掴めなかったり、長かったり、深く落ち込んでしまうと、鬱や適応障害という“病気”ということになるのかもしれない。
ライリーのような環境変化から起きる、アクシデントというか、トラブルってどんな人にも起こりうることだけど、みんなが解決できることではない。
この個人差を取り違えないことも大切になるんだろうなと思った。
とはいえ、ひとつライリーから健やかさの取り戻し方を見せてもらった気がした。
なんだかちょっと勇気も、もらえました。
適応障害の方も、そうでない方もオススメです。
さて、ビールでも飲むか🍻
おわり