マガジンのカバー画像

地域の悲史 鳥取県

37
鳥取県内の地域の悲しい歴史を物語る遺跡を紹介しています。
運営しているクリエイター

#鳥取城

鳥取城の青木の局

鳥取に伝わる人柱伝説として、米子城の人柱の話を紹介しました。 ・米子城-人柱にされた娘-|Yuniko note これは、日本の城の人柱に関する伝説を記した本にはほぼ必ず載っている、その方面ではよく知られた伝説のようです。 一方、地元でひっそりと語り継がれている人柱伝説に鳥取城の青木の局の伝説があります。 鳥取城の青木の局 私が子どもの頃に聞いた伝説です。 鳥取城に入った池田の殿様が御三階櫓の石垣を築くとき、難工事で何度も石垣が崩れた。「これは人柱を立てなぁいけんかも・

摩尼寺-羽柴秀吉の焼き討ち-

以前、羽柴秀吉の摩尼寺への焼き討ちに抗議して入定した道好上人の伝説を紹介しました。↓ ・摩尼寺の道好上人-羽柴秀吉の鳥取城攻め-|Yuniko note その記事で道好上人の入定崫も画像で紹介したのですが、あの場所は入定崫ではないことが、このたびの帰省で分かりました。 鳥取県立図書館で調べ物をしていて、道好上人の入定崫を紹介した記事を見つけ、このことが分かったのです。 入定崫の正しい場所を訪れなければと思い、再度摩尼寺を訪ねました。 摩尼寺 寺伝によると、摩尼寺は平安時代

知られざる戦国武将・武田高信の墓-伝説が秘める因幡の戦国時代・3-

戦国時代末期、鳥取城を拠点に因幡国を席巻し、その後非業の死を遂げた知られざる戦国武将・武田高信の墓を訪ねました。 武田姓をもつ戦国武将といえば、何といっても武田信玄。そしてその息子の武田勝頼が有名です。 「武田高信」と聞いても、「誰それ?」というくらいの知名度でしょう。「戦国武将事典」「戦国時代人物事典」などのきちんとした本にも、ほとんど載っていません。地元の鳥取県東部でもまったくと言ってよいほどの無名の人物です。 ですが、因幡国の戦国時代においては、はずすことのできない重要

摩尼寺の道好上人-羽柴秀吉の鳥取城攻め-

1581年(天正9)、織田信長の名を受けた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が鳥取城を攻撃しました。 これはその時に起きた出来事といわわる伝説です。 摩尼寺の道好上人と羽柴秀吉 戦国の頃、山中道好という医師がいた。のちに摩尼寺に入って修行し、大力の荒法師となった。 天正9年(1581年)、羽柴秀吉が織田信長の命を受け、鳥取城を攻略すべく因幡国に進出した。この時、秀吉率いる織田勢は多くの神社仏閣を焼き討ちしたが、摩尼寺には道好が立ちふさがって一人の兵も入れなかった。 ※若桜の不動院