マガジンのカバー画像

地域の悲史 鳥取県

37
鳥取県内の地域の悲しい歴史を物語る遺跡を紹介しています。
運営しているクリエイター

#人柱

鳥取城の青木の局

鳥取に伝わる人柱伝説として、米子城の人柱の話を紹介しました。 ・米子城-人柱にされた娘-|Yuniko note これは、日本の城の人柱に関する伝説を記した本にはほぼ必ず載っている、その方面ではよく知られた伝説のようです。 一方、地元でひっそりと語り継がれている人柱伝説に鳥取城の青木の局の伝説があります。 鳥取城の青木の局 私が子どもの頃に聞いた伝説です。 鳥取城に入った池田の殿様が御三階櫓の石垣を築くとき、難工事で何度も石垣が崩れた。「これは人柱を立てなぁいけんかも・

金崎土手の人柱-勘右衛門土手のもう一つの伝説-

8月に鳥取に帰ったときの訪問記で、義民・東村勘右衛門を取りあげました。勘右衛門が洪水に苦しむ農民を救うために造った「勘右衛門土手」も記事で取りあげましたが、そのすぐ近くに人柱伝説があるそうです。 東村勘右衛門 東村勘右衛門は旧八東町東の名主で、鳥取藩最大の農民一揆・元文一揆の指導者として知られています。元文一揆の終結後、首謀者として捕らえられ、弟とともに斬首に処せられました。 前に記したように、洪水に苦しむ農民を救うために土手を築造し、凶作に備えて韮の栽培を奨励したなどの

米子城-人柱にされた娘-

かつて、城や土手、橋などの工事を無事に完成させるために、人間をいけにえとして捧げる「人柱」という風習があり、全国にその伝説が伝わっています。鳥取県西部の米子城に伝わる人柱伝説を紹介します。 米子城・1 米子城は米子市の中心部近く、中海に面した湊山(90m)に築かれていた城です。 戦国時代には小さな砦が築かれていたようですが、豊臣政権下で毛利氏一族の吉川広家が居城の月山富田城が山奥で不便なことを厭い、水陸交通の要地である湊山に着目して築城を始めました。 吉川広家(1561