今週見た展示と公演2024/5/11
5/11(土)
友達と国立民俗学博物館(みんぱく)の企画展「水俣病を伝える」を見にいった。
私はこの展示のことを知らなかったが、友達が挙げてくれた遊び場所の候補にあって、タイムリーだねということで行くことにした。
環境省の職員が、大臣と水俣病患者との懇談会で、患者の話している最中にマイクの音量を落としたというニュースがめちゃくちゃすぎてわけわからんと思ったことと、とはいえ自分が水俣病の今のことなど何も知らないことも思い知った。
展示の内容をほとんど知らずに行ったので、単純に、水俣病の被害について学ぶつもりだったのだが、展示の内容は「どう伝えてきたか」や「これからどう伝えるか」を主としていた。
みんぱくの学芸員がフィールドワークとして水俣に行き、水俣病の歴史や関わってきた人に話を聞いて、「伝える」ことについて研究したその「発表」という形が、何も知らない私と水俣病をぐっと近付ける気がしてまずよかった。
「水俣病」に限らず、水俣という場所についての紹介された写真を見ると、山と田畑と川と海ばかりでただただ美しかった。「水俣病」という公害にかかったとたん、一瞬にして「病」の街になってしまう。風評被害なんていう言葉では軽すぎるほどの罪だと思う。
この日はたしかに暑かったのだが、私は途中で軽い貧血のような感じになり、このまま見続けるのが難しい気がしたので、友達に言って会場の外の椅子に座りに行った。
ちょうど気分が悪くなった時に見ていたのが、水俣病にかかった人に向けられた悪意の言葉を集めた展示で、特に、関係者や近いと思われる人たちの言葉だった。
『病気じゃなくてただの怠けだろう』
『補償金いくらもらったんだ』
『ずるい』
みたいな、そんな言葉が黒のパネルに白色の文字でたくさん書かれていた。
自分の体調が悪くなったこととこれらの言葉の羅列を見たタイミングが単に一致していただけかもしれないが、人の悪意に満ちた言葉を文字として見るのにとことん弱いという自覚もあり、あ、無理! と反応してしまったようだ。
国が一部責任と補償を認めたことにより、国によって一定の「基準」が設けられてしまい、被害者どうしにもかかわらず分断が起きる様子。
この国のいたるところに存在する、いわゆる「ムラ社会」の持つ残酷さ。
謝罪より補償が先立つあり方。
などなどが、よく知らないなかでも断片的に組み合わさってぶわっと巻き起こり襲ってきたような気がした。
症状としては軽い貧血と頭痛なので、その場を離れて少し休み、カバンを預けていたロッカー(遠い! みんぱくは広いっ!)に頭痛薬を取りに行って飲んだらすぐに治った。
それにしてもみんぱくはいつも空いているな~そこが大好きなんだけど。運営は大丈夫なのかな~? 絶対になくならないでほしい。がらんどうみたいな博物館。
友達に無事を伝えて、展示のルートに戻った。
さっきの言葉のパネルはもう見るのをやめて、何となく気分で写真にも撮ることができなかったから(この展示はほとんど撮影OK)、私が再現して上に書いた文字はうろ覚えで、ちょっと間違っているかもしれない。
かわりに、水俣病を伝えることに従事している人たちの言葉を並べたパネルを撮った。
それから、直接的には水俣病に関係していないが、今「伝える」ことを仕事にしている若い人たちの言葉も撮った。
変にまとめようとせず自分の言える言葉で自分の感じたことを伝えようとしており、すごくよかった。
実は、原爆の被害を伝える、ということに興味があり、若いころひととき、それを自分の仕事として関わるということについて考えていたときがあった。
結局やめてしまったが、勝手にパネルの中の若い人たちのことを自分に重ねてみたりした。当事者じゃなくとも、公害問題や人権問題などについて仕事として関わるという生き方について。この人たちのような勇気や粘り強さや誠実さを自分は持てただろうか。
みんぱくを出て、昼ごはんを食べることにした。
なんと友達も私もレジャーシートを持ってきていて、ピクニックだ!
かなり迷って公園内をうろうろして、やっと決心してキッチンカーでホットドッグと缶ビールと缶チューハイを買った。
友達が、「外で食べるからおいしいのかも」と言って本当にそうだな~と思った。
時々野外ステージのほうから誰かの歌う声が聞こえた。
友達と駅で別れて、桃谷に向かった。
ダンスをしている友達の中西ちさとさんが出演する公演があるのだ。
調べたら万博記念公園から50分かかると出たけど、表示のとおりに行けば20分前に桃谷駅に着くはずだ。
ところが環状線で乗り換える際、ホームを間違えて全然知らない方角に向かってしまった。
大阪のことはいつまでたってもまったくわからん。地名を見ても、予測もつかない。
検索し直すと、公演の開始時間に駅に着く結果となった。仕方ない。ニイニイちゃん(中西ちさとさん)の出演は一番目じゃないから大丈夫。ってことにする。
長い商店街を通り、近所に住むっぽい子どものあとについてふらふらとケーキ屋に入ったら明日は母の日で、なるほどーと思って焼き菓子BOXを買った。ニイニイちゃんにあげよう。
「元材木倉庫」なのだというその場所は、今日の公演のために「舞台」になっているらしかった。
ほとんど野外で、見に来た人たちのために必死に焚いてくれている蚊取り線香のにおいが漂っていた。
ニイニイちゃんの演目とてもよかった!
今ここにいてこれをしている! という感じがひしひしと伝わった。自分がそういうものを見たいと思っていたことを初めて知った。そしてそれは私だけじゃなくてみんなそうなんじゃないかな? と思った。
ニイニイちゃんは普段から二人で話していても途中で身体が動いている人なのだが、たぶん、会話だけじゃどうしようもなくて、うずうずとかむずむずとかするのだと思ってきたが、それがダンスのなかにもあった。
言葉とダンスが同じぐらい表現の手段である人なのだと思う。
そして、それは大きさは違えどもしかしたら私も、他の人だって同じかもしれない。言葉にならないこと、どうしようもない思い、頭のなかでぐちゃぐちゃになっていること。
ニイニイちゃんは、ダンスをそういう近さで思わせる人だといつも思う。
ニイニイちゃんが緑色のスカートで2階から降りてきて水を飲んだ時。
仕事の電話に慌てて出て、焦りながらもなぜか半笑いで断っている時。
鏡の前で顔の皺をのばしている時。
ラジオからフワちゃんの声が流れたとき。
真空ジェシカの名前。
それからパレスチナのニュースが流れたとき。
全部が断片で、今で、本当のことで、等価で、流れていく出来事であると感じた。
パレスチナのニュースの時、身体のうずうずやむずむずが目の前でダンスになって表れていて、つい泣いてしまった。どうしようもない気持ち、何もできていないと思うこと、どうしたらいいのかわからないこと、そう思うのは単なる逃げだとも思うこと、自分は自分で何とか生きて生活を成り立たせていること、そういうどうしようも無さが全部詰まっている気がした。
そう、私は踊る友達の姿に完全に自分を重ねているのだが、感情的でなく、淡々とと目の前でなされているダンスに流れるように、そういうことを思った。
私はふだんのニイニイちゃんとの会話やニイニイちゃんが書いている文章から、今とくにどういうことを考えているか知っているからこその「解読」だとは思うのだが、ニイニイちゃんが今たどり着いた表現の形を見て感動したし、これを見るために行くというのではなく、見たものから「これが見たかったんだ」と知る、逆転現象みたいなことを体験したことにも感激した。自分が見たいと望んでいたものを向こう側から教わるというのは初めての経験かもしれない。稀少で、文字通り有り難いことだと思う。
諦めたりやめたりすることなく考え続けるなかでたどり着いた「表現」にはこんなものがあるのか、という喜びと希望も味わった。
今このときを表現することに勝る切実さはないように私には思えて、それ以上に伝えられるものもないと思った。
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