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誰かの何かになれること 2024/8/30

白岩玄『プリテンド・ファーザー』


ずるいってことがない作家だなあ~そこが本当に好き!
つまり、子育てに関して、どうしても二番手、非当事者、サブ、サポーター?? の立場になりがちな男性のことを、男性でありながらいつもよく逃げずに書いてくれる。それだけで希望に思える。

恭平と章吾という、それぞれ小さい子どもを持つ男性たちが、最終的に二人で協力しながら生活していくことを目指す物語。
最初、恭平は、男二人が子どもを連れて一緒に街を歩くことさえ、偏見を恐れて抵抗を感じる。偏見があるのは自分自身で、そこからのスタートだから、二人は衝突や話し合いを繰り返す。

保育士の資格を持ち、もともと子育てに適性のある章吾も、実は自分の子ではない「息子」を育てていることへの悩みを抱えている。耕太は海外の紛争地域でその地域の子どものために働くすみれの子で、章吾はすみれのことが好きで、耕太のことも好きなのだ。

変化していく恭平の姿が描かれたあと、
最終的に、章吾はある境地にたどり着く。それがよくって。泣ける。

この先、恭平と僕が二人で育てることで、彼女(志乃…恭平の娘)が偏見の日にさらされることもあるかもしれない。でも、ちゃんと守るからね、と口には出さずに心に誓った。手を洗うと言う志乃ちゃんにうなずき、洗面所に移動して、少し高い位置にある蛇口に届かせるために彼女の体をうしろから抱き上げる。 ハンドソープの泡を載せた小さな手がこすり合わされるのを眺めながら、肩書きや血のつながりではなく、行為によって親になるんだと自分にそう言い聞かせた。僕の存在が志乃ちゃんの記憶に残らなくても、行為の中に愛があるのなら、それでいい。大事に思う存在が、その愛を栄養にして育つのであれば、僕がここにいる意味はあるのだ。
少し涙ぐんで涙をすすったのを気づかれてしまい、「なんでもないよ」とごまかした。手を拭くためのタオルを取ってやりながら、これからも記憶に残らないような行為を積み重ねていこうと思う。大事に思う存在が、その愛を栄養にして育つのであれば、僕がここにいる意味はあるのだ。

地に足のついた言葉だなと思う。
誰が誰と育ててもいいのだな、きっと。

「耕太のことは大事だけど、世の中には自分のことを第一に考えてもらえない子どももいっぱいいるわけだから。私はせめて、そこに目を向ける人でいようって、そう思ってこっちに来たの。まあ、 もちろんそれは、章吾が耕太をみるって言ってくれたからできたことではあるんだけど」 

すみれの言葉もとても重い。こういう考えは全然なかったな。

毒親のような両親を訪ねて精神的に削られたあと、章吾の叔母が、「私がばあばになるわよ」と手を挙げるシーンも登場する。

誰でも、その瞬間だけであってもよくて、子どもに愛情を注ぐことができたらいいのだと思った。

私も、誰かの何かになれるだろうか?


カルピス+ゼラチン=カルピスゼリー

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