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私がどうしてもしたいことは2024/6/8

最近、自分が何がしたいのかよくわからないと思うことが多く、高校の時の同級生から、「2人目が来月産まれる予定」とLINEが来たとき激しく動揺した。

友達は3年ほど前に、長年の不妊治療の末に1人目を産んでおり、その治療内容や苦労も含めて聞いていたから、友達は子どもに関してそれで満足というか、もう終わりってことにしてるのだと私は勝手に思っていた。

年齢のこともあるし。友達のことを、そういう世間体のようなものを気にする人だと思っていたこともある。子どもが成人した時に親が何歳かとかそういうの。

今回の経緯はわからないが、そこまでして2人目がほしいと思うことについて、私は強い興味を持った。

何かをしたいと強く思う人に対して、今がぜん興味があるのだと思う。

それで、ぜひ会って話が聞きたいと思い、日程まで相談し始めたのだが、自分のスケジュールや関西から名古屋までの距離、などのことを考えるとかなり負担に感じ始めてしまった。

特に、「平日ランチで」という指定がちょっとしんどかった。
それは、産休に入ったことと、土日は家族で過ごすからという意味かなと考えた。
今回はLINEに書いてなかったが、前に日程を決めるとき、「土日は夫が休みのことが多いからできたら避けたい」と言われたことがある。それはそうかもしれないが、それはそうだと理解しなければいけないのか? とも思った。

また、夫が仕事の土曜日に友達と二人で会ったことがあるのだが、子どもを実家の親に預けて来ており、その際、実家の父に「母親なのに子どもを置いて遊びに行くなんて子どもがかわいそう」的な苦言を呈されたと言っていた。

そーゆーのが本人(友達自身)以上に響くのが私で…!

父親(夫)への苦言は?
仕事なら問答無用で育児責任免除なの?
かわいそうって何…。言われると辛くなる。
で、簡単に子を預けられるところ(場所も風習も)がないのがこの国!

とかとかとか。本人以上に憤ってしまう。

怒りでもあり、傷付きもする。
境遇、生き方の違いにより、友達と急速に距離が開くことがよくある。疎遠になることもざらだ。
そのことにすごく傷付く!
それでこの国のことが嫌いになってしまうんだ。

妹にその話(友達に2人目が産まれるらしいということ)をしたら、「ふ~ん」といった反応で、特別驚くことでもないらしい。
「姉さんが期待してるような特別な理由はないかもしれないよ」とも言う。

そうなのか…。と思いつつ、友達に、「ごめん! やっぱり帰省が難しいから電話でもいいかな?」とLINEを送ったところ、「全然いいよ。ていうか産まれてからでもいいし。一年産休だから、また帰省のタイミングでいつでも声かけて」と返ってきた。

なーんだ。そっか。まあいっか。
そのうち会えた時にでも、なんでそんなに子どもがほしいのか聞いてみればいいか、と思って気持ちと興味が一旦おさまり、区切りがついた。

🚃

別の友達の家に久しぶりに遊びに行った。
作ってくれたお昼ごはんを食べながら、自分が何もしたいことがないかもしれないという話をした。

しかし、気付けば話しながら急速に沸き上がった考えのまま、「私はこうやって、こういう話がしたい。友達と話がしたいんだ!」と言っていた。

そっか。私は人と話がしたいんだな。それが、自分が今も前もきっとこれからも、ずっと心の底からしたいことだなとわかった。聞いてくれる友達がいて、引き出された言葉だった。

しばらく人と大事な話ができていなくて、そのせいでこの数週間ぐちゃぐちゃしていた。相手がいないと出てこないんだな。なんか無意識にもう諦めて、ただ一生懸命仕事と生活だけをしている気でいた。けどムカつくし、傷付いてすねていた。
諦めてはいけないな。
こういう時間をもっと持つために私はできることをしたいと思った。


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