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【エッセイ】半額のしらす

今日の夜ご飯は何にしようかと思い、冷蔵庫を開ける。いつもよりやや強めの冷気がわたしを冷やしにかかる。あ、何もないんだった。野菜室を開けると、水分が欲しいと袋の中で嘆く最後の大葉がこちらを向いている。

なんであの日にこの1枚の大葉を残しておこうと思ったのか、答えは見つからないまま時間は過ぎていく。よく見るとたいへんよく乾いている。しっかりとカラカラしている。押し花のようだ。大葉の栞を思い浮かべたが、趣とは遠い存在のように思えたのでやめた。申し訳なさとともに野菜室を閉め、仕方がないので近くのスーパーへ行くことにした。

スーパーの混雑のピークは過ぎており、人もまばらでゆっくりと回ることができそうだ。わたしはこの時間帯のスーパーが好きだ。

ただ、入り口付近にある全く値上がりの気配を見せない198円の焼き芋が、毎回カゴに入りたさそうにこっちを見てくるのを振り切ることだけが至難の業。時間帯関係なしに年中そういう顔をしてくるので、これは本当に大変なことである。これを今食べてしまうと夜ごはんが焼き芋だけになってしまう予感がしたので、香りだけお腹に入れて気持ちの整理をつけた。

これは夜ご飯前の買い出しのルーティーンになりつつある。いつか焼き芋が食べたくてスーパーに出かける、そんな日が来ることを願いながら今日も買い物カートを前に進めた。

我が家は魚が好きなので、週の半分以上は魚料理のことが多い。今日も魚コーナーへ行くと、鮭やたらぶりさばなど様々な魚が並べられている。順を追って見ていくと、いつものコーナーにたどり着く。
「僕たち、明日までなんです。」という見出し付きの見切り品コーナー。おまけに涙を流した魚の絵まで添えられている。

わたしはこの場所が店内でも1番好きかもしれない。今日と明日食べる分は大体ここから購入している。美味しさの期限が迫っている魚の未来を考えると悲しくなってしまう。命を削ってパックに詰められた思いを無駄にはしたくなかった。それに、なんといっても安い。お互いにメリットしかないので購入する以外の手は見つからなかった。

今日は半額のしらすにロックオン。「今日食べてあげるからね」と心の中で見出しに返事をし、そっとカゴに入れる。隣に並ぶ知らないおばあさんももう一つの半額のしらすを手に取っていた。

今日の夜ごはんは鮭しらす丼にしよう。温泉卵も乗せちゃおう。脳内で今夜のメニュー決めが開催される。

野菜室に取り残された1枚の大葉には申し訳ないことをしたが、なるべく無駄の出ないようにメニューをあれこれと考えながら、数日分の食材をカゴに詰めていく。

レジへ並ぶ前にお菓子売り場に寄り、大好きなグミを選ぶ。今回は温州みかん味のグミだ。そのあと、煎餅せんべいコーナーへ移動し、ちょっとだけ知っているおばあさんと2度目の横並びを経て、最近我が家で流行り始めているマヨネーズおかきを2袋カゴへ入れた。このおばあさんとはしらすといい、煎餅といい、何かと気が合うようだ。

レジを済ませ、出口付近の棚に並ぶシャンプー類を見ながら、トリートメントも買うんだった!と後悔の気持ちを抱えながら無事に帰宅。

さて、今日は鮭としらすに仕事をしてもらうぞと意気込みながらエプロンをつける。数年前に無印良品で購入した燃えにくいエプロン。オリーブグリーンのような色で厚手の生地。デザインもなかなか可愛くてお気に入りだ。キャンプでも使えるとうたっていたが、まだ一度も連れて行ってあげることができずにいるまま変わらず今日も冷蔵庫横のフックに掛けられている。

しらすを買い物袋から取り出し、封を切ると、んうわああやゃゃ。思わず自分でも聞いたことのないような声が出た。半額のしらすを半分床に落とすという重大な事故を起こしてしまった。罪名をつけるならば、開封過失致死が相応しいだろう。相手のしらすは微動だにしていないので責任はすべてわたしにある。ショックが大き過ぎて言葉にならない。

落ち着きを取り戻し、床に落ちた半分のしらすをゆっくりと拾い上げる。パックに残された半分のしらす。もはや定価のしらすと呼び名を変えたほうがいい。そうに決まっている。半額のしらすを半分落としたのだから。

定価のしらすに代わる子を冷蔵庫の中から見つけることができずにいたため、もう今日は多めにごはんを炊いてお腹を満たそうと気持ちを切り替えた。乗り切る方法をみつけたわたしにほんのりと光が射した気分だ。

本来であれば鮭と半額のしらすのW主演の予定だったが、現実は主演の鮭、エキストラのしらすさんたち、のような比率でどんぶりの表面は満たされた。

今日はとむらうことの多い日だ。1枚の大葉、永遠に買われることのない焼き芋、半額になる予定だった床のしらす。あちこちに線香を上げる姿を思い浮かべながら定価のしらすを美味しくいただいた。見切りを付けずにあのコーナーから救い出したヒーローの気分としらすを落下させた罪人の気分を半分ずつ噛み締めた。


#エッセイ #ショートエッセイ

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小鳥遊 ゆに (Yuni Takanashi)
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