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便利を得て想像力を失する

『おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。』

サンフランシスコに渡る直前、私はこの『魔女の宅急便』のキャッチコピーをよく思い出していた。英語はおぼつかないし、すでにブランクは4年半になっていた。そもそも週40時間働くのだって4年半ぶりだ。それに新卒以来一番下っ端の立場だ。基本的には落ち込むことばかりだろうことを覚悟していた。

インターン中の3ヶ月間は先述の友人宅に居候させてもらうことになっていた。彼女の家に到着した日、玄関にこの言葉が入った『魔女の宅急便』のポスターが貼ってあったのでとても驚いた。4月に遊びに行ったときには全く気付いていなかったが、もともとあったそうだ。

こうして「落ち込むこと」を覚悟でスタートしたインターンシップだが、3か月後に終わるまでの間、落ち込んだことは一度たりともなかった。インターンシップの内容は海外企業が日本へ、あるいは日本企業がアメリカへ進出するためのリサーチとターゲット戦略立案など、ゼクシィ時代にやったことに近い内容にCross-cultural要素が載るという、まさにやりたかったことができた。さらに疎かったテクノロジーやスタートアップ事情、デザイン思考などそれまでまったく縁のなかった新しい知識をたくさん得ることができて世界が大きく広がった。

そしてインターンシップが終了する頃、有難くも正社員のオファーを受け、一旦日本に帰国した。準備のため3ヶ月だけ東京オフィスに勤務し、その後正社員として改めてサンフランシスコに渡ってすぐにマーケティング部門を統括するディレクターになった。

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当時の仕事は自社オウンドメディアをはじめとする自社マーケティング活動の統括、マーケティング系プロジェクトの監督、さらに自らもプロジェクトマネージャーとしてプロジェクトを動かしていたほか、いちマーケターとして別のプロジェクトマネージャーの下、リサーチやプロモーションの担当もした。加えてメンバーの評価やよろず相談受付などのマネージャー業務も行っていた。

ここで意外だったのは、マーケティング以外のこれまでのキャリアがすべて役立ったことだ。オウンドメディアの記事コンテンツの質を担保したり、海外企業の日本語ウェブサイトのコピーなどを作ったりするのに、編集経験はとても役に立った。秘書として指示を受ける側の立場を経験したことは、人に気持ちよく動いてもらうための指示を出す際に活かせたし、事業推進の経験から得た事業視点もディレクターには必要なものだった。

何の積み重ねもないゼロスタートだという気持ちでサンフランシスコに渡ったのに、思いがけずすべての経験がつながったことは予想外の嬉しい誤算だった。

ただ、メンバーが増えていくなかで、だんだんマネジメントの仕事の比重が大きくなっていった。メンバーの面倒を見ることは決して嫌いではないけれど、だんだん自分自身のアウトプットが減ってきて焦りを覚えるようになったのだ。また、私が入った頃から会社の方針が大きく変わり、私の入社動機だった"Cross-cultural Marketing"の部分はずいぶん縮小していた。

2018年の10月末にビザが切れ、次のビザが出るまで日本に一旦戻ることになった。ちょうど入れ違いで東京オフィスのメンバー全員がサンフランシスコ出張になったため、私は1週間の間ひとり実家のある京都でリモートワークをすることになった。ひとりで考える時間が増えた私は、久しぶりに何となく居場所がないような心細い気持ちになっていた。

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その翌週、私はイタリアにいた。父の70歳を記念した旅行だった。

今回父にとっては初めてのイタリア旅行だっため、ローマ、フィレンツェ、ミラノの王道コースに加え、田舎町も見てみたいということで、炭酸水『サン・ペレグリノ』で有名な都市・ベルガモ郊外のアグリツーリズモの宿に1泊した。

久しぶりのイタリアは不便だった。電車の切符を買うにしても、コインは1枚ずつしか入らない。ホテルで寒くても「まだ暖房シーズンじゃないから」という理由で暖房を入れてくれない。Uberもほぼ使えない。

一方でイタリア滞在中、不便ななかにも色んなところで「人間らしさ」を感じた。そして私は自分がずいぶん長い間そんな「人間的な余白」を楽しむ余裕を失っていたことに気づいた。

「便利さ」「効率性」を追求することで私たちは失ったものもある。たとえばスマホのない時代、会話の中に何かあやふやな事柄が出てきたら、「それってそんな意味だったっけ?」「こうじゃなかった?」というような想像を巡らせる会話があった。しかし今は何でも瞬時に検索して解決できる。でも私はそんな会話が嫌いじゃなかった。

イタリアで芸術品の数々を見ながら、その時代の人たちの創造性に圧倒された。同時に、地球は平らだと信じ、神様の世界を描いた人たちの想像力は、科学が進歩した現代に生きる我々のそれよりもずっと豊かだったんだろうなと思った。

私にとってイタリアを訪れるのは3度目で、それらの芸術品を見たのは初めてではなかった。しかし以前とは感じ方がまったく違っていた。人々の不便をすぐに解消してくれるテクノロジーがひっきりなしに登場するベイエリアで暮らすうちに、「不便をなくす」ことがいいことだという考えに徐々に支配され、想像する会話を楽しんでいたことすら忘れていたことに私は気が付いた。(つづく)

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