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今日は「怒らない、落ち込まない、迷わない」のという本から、心に響いた言葉をご紹介します。

苦を乗り越える宿題…という副題のついたこの本は、仏教の僧侶であるアルボムッレ.スマナサーラという人が書いた著書です。(幻冬者)

彼はスリランカ村で生まれ、13歳で出家。
そして出家後は、お寺で兄弟弟子たちと共に修行をし、国立ケラニア大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、駒沢大学に国費留学生として来日。

現在は、日本テーラワーダ仏教協会で、初期仏教の伝道と瞑想指導に従事されていて、全国で講演活動などもされているようです。

その本の中で、「自信がある」も「自信がない」も根は同じ、という言葉に衝撃を受けました。

何故人は他人と自分を比較して、自信をなくしたり、マイナス思考になったりするのでしょうか?

それに対する明確な答えがこの本に書かれていました。

それは実にシンプルで、自分は心のどこかで「自分はたいした人間なんだ」と思っているからだと言います。

自分自身をありのままに見つめて、「自分はたいした事のないちっぽけな存在なんだ」と認めていれば、人と比べておちこんだりしないからです。

🍀結局は傲慢さゆえ。
自分という存在を過大評価しているから、いざ現実を目の当たりにした時、嫌な気分に襲われる羽目になるのだという事です。

反対に自信家や過剰なまでにポジティブな人も同じで、間違った自分を妄想しているのだと言います。

つまり「自信がない」も「自信がある」もネガティブもポジティブも対極のように見えて、実は同じだということに、ハッとさせられました。

けれども多くの人はそれを認めようとはしません。

一人一人がかけがえないのない存在だと、声高に主張する人もいることでしょう。

でも、私という人間は、特別な素晴らしい存在だと思うのは驕りで、かといって、「私なんて」と卑下するのも無意味だと言います。

正しい在り方はただ一つ。
自分がちっぽけな不完全な存在であるという事を素直に受け入れて、それを楽しめばいいのです。

自分が出来ない事は、能力のある他の人がやってくれます。

自分は、自分が出来る範囲の物事を誠実に精一杯こなせばそれで十分だという事です。

ありのままの自分を認められるようになれば、人と比べて傷ついたりせずに済みますし、誰かに何かを言われても「あぁ、そうですか」と冷静でいられるようになり、安穏に過ごせるといった言葉が印象的でした。

自分を過小評価したり、過大評価する事は無意味だと知り、自分のありのままを受け入れて、楽しみたいですね。

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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