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開運への導き~「自分の心と素直に向き合っていこう」
おはようございます。
開運セラピストゆーみんです。
昨日仕事が休みだったので、母とドライブに出掛けました。
車の中のBGMはラジオが活躍。
古くても、大切にしたいものが沢山あります。
以前学んだ事でもそれは同じ・・・。
暫く忘れていても、何かの折にふと思い出す事があります。
今日も良かったら、お付き合いくださいね。
良寛さんの言葉
今日はこんな言葉が飛びこんできました。
良寛さんの言葉です。
「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」
人生は善と悪、正と邪、真と偽、明と暗、陰と陽で出来ています。
さまざまな「裏と表」を見せて生きています。
しかし、「外見と心」この二つは必ずしも相反するものではないのです。
だから、自分の心にどちらも存在するという事を認めて、常にバランスを保って生きていかなければいけないのです。
私達は相手に見せる事の出来ない心を、物で表し、態度で示し、
言葉にして相手に伝えようとしています。
これは、心と身体を併せ持つ人間の宿命ですね。
自分の中に、二つの心が存在しているのです。
でも、どちらを優先させるかは、自分の心にかかっていると思います。
キリストの教え
そんな時に、「偽善」を嫌い、醜いものを内に持っていながら、持っていないかのように見せかけ、他人の弱さを糾弾するファリザイ人に対して、キリストが言った逸話を思い出しました。
姦淫の現場を押さえられ、モーゼの律法に従って、この女性を石打ちの刑にするべきか、憐れみをかけて釈放するべきか、ファリザイ人がキリストに二者択一を迫った場面です。
釈放せよと言えば、神の掟をないがしろにすることになる。
でも、石打ちにせよと言えば、罪びとを赦せと説いているキリストの言葉が噓になってしまう・・。
とても厳しい選択でしたが、キリストはこのように仰ったのです。
「あなた方の中で、罪のない人がまずこの女に石を投げなさい」
キリストは、この女性をどうするのかという問いには答えず、石を投げる「資格」があるかどうか、ファリザイ人に問いただしたのです。
すると、周りの人々は石を投げることなく、一人去り、二人去って、その場に残ったのは女性とイエスだけになったのです。
そしてイエスは「これからはもう罪を犯さないように…」と厳しく女性に諭されたといいます。
罪は厳しく問われるべきだと思いますが、誰かを非難したくなったりしたときは、わが胸に手を当てて自問してみる事が大事ですね。
人を裁く資格があるのだろうかと・・・。
私も人を裁きたくなった時は、そこから先は「神の領域」に任せたいと思います。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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