習慣化している自己否定をやめなければ、人生は良くならないと思った。
昔、大学生のころまで、自分が嫌いだった。
明確に自己否定をし、変わらなければ行けないと思っていた。
それではまずいと思い、自分をいじめるのを辞めようと思った。社会人になる前にこう気づいたのは大きな前進だった。
でも、まだまだ自己否定を繰り返していることに気づいた。
明確に「自分はダメだ」ということは減ったけど、マイルドな言い方や方法で自分を潰していた。
例えば、「イメージが悪い」という理由で自分の趣味を攻撃したり、辞めようとしたりすること。
「いい年した男性が若い女の子のキャラクターの絵を描くことは気持ち悪い」と考え、自分の趣味を攻撃する。オタクをやってきた人なら、一度はこのようなことを思う経験はあるのではないか。
たしかに、このような趣味を本当に気持ち悪いという人はいるし、異性だったら冷めてしまう人もいる(経験談)。
でも、自分の絵を応援してくれる人もいるし、同じように絵を描く仲間もいる。
自分の趣味を攻撃した本当の理由は、今やっていることにただ自信がないからなのだ。「イメージが悪い」はそれっぽい理由としてただ持ち出していただけなのだ。
この例に限らず、私はあらゆる事を否定してきたと感じた。
一番多いのは、「自分の行動って正しいのかな?」と何でもかんでもネットに答えを求めてしまうこと。そこに違うことが書いてあればその行動をやめてしまうこともあった。
新しいことに折角チャレンジしても、慣れてくると現状の自分のあら探しを始めて、継続できずに辞めてしまう。
(新しいことにどんどんチャレンジすることはいいことだと思うけど、その動機があまりにも不純すぎるのだ。)
私は「正しい生き方」に憧れてきたのだ。でも、その理想像と自分の本性が合わないと、それは自己否定をするトリガーとなった。
もはや、無意識レベルで自己否定している。
あることをしようとしたら、隣に番人がいて「それは違うんじゃない?」と目をギラつかせている感じ。
「自分は変わらなきゃ」という心の口癖もそう。前向きに見えて、とんでもなくネガティブ。自己否定に快感を覚えて酔っているともいえる。
ようやく気づけた自己否定の意味。
もう、やめたい。