チアリーディング的文章が書きたい【3分】
私は、文章を書くことが好きだ。
そして、目標がある。
それは、チアリーディング的文章を書くこと。
もちろん、賞を取れたら、本を出版できたら、嬉しいだろうなとは思う。
けれども、賞を取ることや本を出版することは、本質的に成し遂げたいことのために踏むべき段階であり、手段である。
チアリーディング的文章とはいったい何なのか、私がチアリーディング的文章を書きたいのはどうしてなのか、今日は、そういった話を書こうと思う。
チアリーディング的文章
チアリーディング的文章とは、チアリーディングみたいな文章のことである。
チアリーディング的な要素のある、そういう文章。
(読み返していて、説明する気がなさすぎて笑った。いちおう断っておくと、チアリーディング的文章、は私ユミヨシの造語。)
チアリーディング的な要素というのは、ずばり、応援、ということだ。
チアリーディングは、競技の側面もあるけれど、元はといえば、cheer=応援する、ということが根幹にある。
チアリーディングにチアされた経験
チアには、チアダンスとチアリーディングがあって、どちらも大好きなのだけれども、私はどちらかというとチアリーディング的な文章を目指している。
笑顔で、柔軟に、力強く、そしてときにアクロバティックに。
ここまで、チア、チア、言っていると、私がさぞチアに打ち込んでいる、あるいは打ち込んでいたのだと思われそうなところだが、私にチア経験はない。
シンプルに運動神経があまりよろしくなく、チアに向いていないと思う。
(この話はまたの機会に。)
でも、チアがとってもとーっても大好き。
理由としては、ひとえに、身近にチアリーディングをしている人が多く、ふつうの人よりは圧倒的に多くチアを見ていることが大きい。
ただ、これはちょっと複雑な話で、チアリーディングが好きになり、チアリーディングをしている人が身近になり、チアリーディングにより触れるようになり、チアリーディングがもっと好きになった、という感じだ。
高校3年生のときに、偶然とあるチアリーディングチームのことを知って、一眼見てその演技に魅せられた。
コロナ禍、なかなか思うような生活を送ることができずに悶々としていたとき、そのチームの動画を見て、いつも元気をもらっていた。
私が、自粛期間に腐らず、今できることをやろう、という気持ちになれたのは、チアリーディングがあったから。
ほんとうに心の底から感謝していて、私がチアリーダーになるのは難しそうだけれど、別の方法で、チアリーダーみたいな存在になりたいと思うようになった。
文章でチアする
だから私は、文章で、読み手をチアしたい。
読んでいるときもそうだし、読んだあとずっと、その人の生活を、人生を、チアできるような、そんな文章が書きたい。
けれど、そう簡単にいくものではなくて、人を応援したい応援したいという気持ちが高まるほど、空回りしてしまいがちになるもの。
だから私は、文章で読み手をチアしたい、と心の深いところでいつも願いながら、あまりそのことを意識せずに文章を書くようにしている。
はたして、それがちゃんと実践できているかどうかには、自信がないけれど。
結果的に、私の文章が、チアリーディング的なものになれば嬉しいなあと思いながら、今も、書いている。
おわりに
今日チアをするつもりでも明日チアされているかもしれない日々で/弓吉えり
読んでくれる人を応援したい、と思って書いているはずの文章なのに、読んでくれた人からの言葉に、私は毎日応援されている。
応援するつもりが、気づけば応援されていて、でも案外、物事ってそういうものかもしれないな、という普遍的な構造に、今さら気づかされるのだ。