見出し画像

【小説レビュー】『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子

正直、このタイトルと装丁はいただけない。個人的に、映画とか小説とか、そういう作品の見た目と中身が違うのが嫌いだ。ちゃんと中身を表す見た目であって欲しい。そこに裏切りは必要ないと思っている。『おいしいごはんが食べられますように』というタイトルや装丁から想像する、美味しそうなごはんがたくさんでてくるほっこり物語とは真逆のストーリーで、内容に合ったタイトルじゃないのはかなりのマイナスポイントだ。

そこそこ大きな会社の、とある部署で働く人たちの人間模様を描いた話だ。登場人物がみんな、そういう人いるよなぁという感じで、こういう事起こるよなぁとかなり共感できる。
二谷という男性社員と押尾という女性社員、二人の視点からこの物語は描かれている。彼らの共通点は、職場のみんなに気に入られ守られている弱い女性社員の芦川を苦手に感じている事だ。若くてかわいくてみんなに気を遣える、でも心身が弱く仕事ができない、それを周りの人間に許されているタイプの人間だ。そういう人間を悪く言う事をタブー視されていて、むしろ受け入れない人間の方が悪いという同調圧力を気詰まりに感じるタイプの人間って、どれくらいいるのだろう?私はそっち側の人間なのだけど、それを表明する人って少ないので、どの程度の割合がそうなのかが見えないのだ。でも、この本が芥川賞を取るくらいだから、割と共感されやすい感情なのかなとは思う。

芦川のような弱い人間、できない人間ばかりが許され、我慢強い人間や仕事ができる人間に仕事が集中してしまいそれが常態化して不満が溜まるってかなり日本社会のあるあるだと思う。そういう人たちが日本にはたくさんいて、でもケアされるのは負担がかかっている人たちではなく、負担をかけている側の人たちばかりだ。
映画『夜明けのすべて』を見てすごく良いなと思ったのが、そういう強い人たちに負担がかかってばかりで気の毒に感じるという構図が全く無かった事だったのだ。現実は、本作のようにマトモな人にほど負担がかかる。

しかし、だからと言って二谷と押尾にも共感できなかった。二人は弱くてちやほやされている芦川に意地悪しようと約束してしまうのだ。なんだかその不満の発露が嫌な感じだった。溜まりに溜まったフラストレーションが爆発する、みたいなのは理解できるのだ。でも、そういう突発的なものだけでなく悪意が常態化している感じが、共感し難いものだった。

自分って、そういうストレスを意外と上手く逃していたんだなぁと思った。私はこういうコミュニティにいる苦手なタイプとの避けられない付き合いを、本当に最小限に留める。とにかく必要な接触しかしないので、意地悪しようなんて思わない。そして、自分の気持ちを理解してくれそうなタイプに積極的にあの人が苦手と言っておくのだ。別に味方になってくれる事を期待している訳ではなくて、ただのストレス発散として。絶対に、理解してくれるだろう人間にしか打ち明けないので、ややこしい事にならない。しかも、さりげなくその苦手な人との接触を減らす方向に動いてくれたり、後から大丈夫だった?とケアしてくれたりする。
自分って性格悪いなぁと思っていたけど、下手に気を遣ってストレスを溜めて周囲に迷惑をかけるよりずっと良いし、周りもわかりやすくて対応しやすい面もあっただろう。
こういう風に自分を省みるきっかけになるというのも、この本が自分に影響を与えている証拠で、良い本だと言えるのだろう。

この本では、弱いけど性格の良い人を嫌ってはいけないという同調圧力と同じように、愛情がこもっていたり、健康的だったり、美味しかったり、そういう良い食事をしなければいけないという同調圧力についても反発している。これについては共感はできない(私は良い食事にある程度価値を見出している)けど、納得できたと言うかそのストレスは理解しやすいものだった。

序盤に次々と登場人物が出てきて誰が誰だかわからない状態になった時には、これが芥川賞?と思ってしまったけど、描かれたテーマはわりと受賞に相応しいものだなと思った。

『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子 2.5

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集