今は、少しくらい浮かれてもいいかな。
先日、ひとつ歳を重ねた。
もう10年以上も前のこと。
その日はたくさんの友達からおめでとうと連絡をもらい、mixiを開くとメッセージがあり、当日の夕方は学科の友人がパーティーを開いてくれることになっており、完全にわたしは浮かれていた。
浮かれたわたしはどうなったか。
ふんふんと鼻歌を歌いながら原付に乗っていたら、車に轢かれたのだ。(いけるでしょと黄色で渡ったわたしが悪い。)
意識不明のまま救急車で運ばれ、そのまま病院で一夜を過ごすことに。
携帯にはたくさんの不在着信と、本人不在のまま開かれたパーティーの写真が送られてきていた。
幸い大きな怪我はなく、顔のあちこちを縫うだけだったけど、事故って本当に怖いと思った。
それと同時に、わたしは浮かれたら浮かれすぎる人間だ、気をつけなければ!と思った。
その日以来、自分の誕生日は粛々と、淡々と過ごすと決めている。
そして迎えた今年の誕生日。
朝から子供たちと夫がニヤニヤしながら「お誕生日おめでとう〜♡」と言ってくれる。
できるだけ普通の日にしよう、と思ってメンタルクリニックの予約を入れていたわたしに、妹が「ランチくらい行こーや」と連れ出してくれる。親がメッセージをくれる。
あの頃のようにたくさんの友人から連絡をもらうことはなくなったけど、わたしの誕生日だと気付いて温かいメッセージをくれる友人が数人いる。
あぁ、なんて嬉しいことだろうと思った。
コロナ禍ということもあるけど、ここ数年、メンタルがしんどいこともありかなり交友関係を狭めていた。
今までのように広く色んなところに出向くことは、気乗りしない集まりに行くことは、もう出来なくなっていた。無理して人に会うことも、特にこの1年は避けていた。
なんていうんだろうか。
この今わたしのまわりにいてくれる人たちがわたしが必要としている人たちで、必要としてくれている人たちで、大切にしていかなきゃいけない人たちだな、ということが明確に分かった気がする。
そういう人たちからもらえるありがとうが、一番嬉しい、ということも。
見ての通り(?)わたしは浮かれやすくて、落ち込みやすくて、泣き虫で、見栄っ張りで、めんどくさい人間だ。
去年の今頃はメンタル最悪だったからせっかくパーティーしようとしてくれてた家族に「祝われてると緊張するからやめて!」なんて言ったし、一人で縁側でうずくまってたし、また会おうねと連絡をくれた友人には「今はしんどいから会えない」と返した記憶もある。(ひどい)
そんなわたしを見ても、そんなひどい状態を経ても、こうしていい距離感でそばにいてくれる人がいる。
これって踊り出したいくらい浮かれてもいいことなんじゃないの?と思ったのだ。ふと。
ということで、今年の誕生日はありがとうの気持ちと共にちょっと浮かれた。
年々何でもない日になっていくけど、それでいいと思うけど、これからは自分が大切にしたいものは何か、一年に一度考える時間にするのもいいなと思った。
と書いている今日は、気圧と雨でぐわんぐわんです。仕方ないと思いながらもくっそとも思う。
補食取って、タンパク質食べて、温かくしていきましょうね〜!