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その11 振り返って
高校生の時、身近な人を4人亡くした。
一人は大切な友人。入学してすぐ、突然のことだった。
一人はその悲しみの最中に生まれた、知り合いの赤ちゃん。
(どうか元気で、長く生きれますように……。)
そう祈ったけれど、2歳になる前に熱を出して亡くなった。
他に伯父と祖母。
「人は年齢に関係なく死ぬんだ。」
そう理解した。
確かなものは何もない。
友人が風邪をひき発熱するだけで、動揺した。
一生懸命作ったものがちょっとした不注意で壊れた時も、深いショックを受けた。
‘’動じる‘’心の土台を作っていた。
そして先に述べたように枠の中に嵌まっていた為、頭の中は思考だらけだった。
‘’あーしなければ、こーしなければ‘’
‘’あーだからこーだったんだ、だからそうならないようにこーしなければ‘’
……。
それが確かで安心をくれるものだと信じ込んでいた。
けれど執われて執われて苦しみを自分で作り出すばかり。
こんな状態で、私は人生のステージを変える。
‘’結婚‘’だ。
義理の両親との同居で、最大限に気を使って生活した。
今となってはその‘’気‘’は要らないものだったとわかるけれど、その当時はそういう生き方しか知らない。
何もかもが大変で、その幸せはハリボテのようなものだった。
そして……子供が生まれる。
いつ発熱して、死ぬかもしれない存在。
それを愛し守り抜く……?
愛を愛と感じられずに育ち心がグラグラな私には、重すぎる責務だった。
何度も泣きながら、何度も心が潰れそうになるのを感じながら、それでもその時々の自分に出来る限りのことをし続けた。
十分に関わり切れないまま亡くした友人のことがいつも胸にあった。
激しい後悔が、「今目前に存在する人と全力で関わりぬく。」という強い思いに変わっていた。
そしてたった15年のあの子の人生を、死んだことも含め意味のあるものにしたかった。
子供たちが成長するにつれ、動じ切っていた心が落ち着いていく。
起きてくることに腹をくくれるようになっていく。枠にはまだまだ嵌まっていたけれど。
そしてそうした時に、陀羅尼の内容が少し見えるようになったんだ。
人との深いかかわりの中で得たこと。
それは、変えられるのは相手ではなく自分だということ。
その時々の状況・立場・捉え方で変わる沢山の感情があるということ。
そして、思考は脆すぎるということ。
人の持つ感覚器官は、すべてを捉えることはできない。そしてそこから得られる情報を処理する自分の認識は、過去の様々な経験によって歪められている。それを元に思考をするのだから、どれが正しくてどれが間違っていると言えるのだろう。
これが思考の限界だと実感した。
それから、少しずつではあったが思考を捨てていった。
自分の内面に目をやり感情を見つめているうちに、悲しみや恐れ・怒りのような重い感情を味わうことがもういい加減嫌になった。
(もうええわ。)
いい子にしていたら、‘’正しく‘’生きていたら、いつか幸せになれる……とずっと待ち続けることにも飽きた。
(それって昭和の時代劇やん。‘’幸せ‘’って、結局嫌なことなど何一つ無いって状態?そんなことってある?そんなバカで自分勝手なことって無いわ。)
生きている限り、いろいろ起こり続ける。それが生きるということ。
そしてそこから逃げても、結局また形を変えてそれはやってくる。
避け続けることは出来ない。
ならば何が起こっても、それを自分に活かす為に使おうと思うようになった。感情を頼りに歪んだ認識を変え続けたように、誰もがして当たり前の捉え方さえ変えることで。より自分に役立つように。より心が軽くなるように。今、幸せを感じられるように。
その諸行奉修により、心が加速して軽くなっていった。
全てがより軽く、喜びに向かっていく……。
生きてきた過去をそんな風に振り返りつつ過ごしていたある日、私は車で外出した。
助手席に座って流れる外の景色を見ていた時、ふと胸の前で両掌を広げ見つめた。そしてその両掌の間隔を左右50cmくらいに取り、両掌を向かい合わせる。
するとその両掌の間に、無数の何かの束が観えた。
その束はどこも輝いている。
(え……? これって……。
感情だ!感情の束! 今まで自分が感じてきた無数の……!)
その次の瞬間、身体がゾワッとして、
(陀羅尼だ!)
そう感じた。