休職日記 13(最終回)

さて。
やっと最終回です。
今回は、これまでの経緯など、総まとめという感じで、書ける範囲で書いていきます。

あまり個人攻撃や会社批判みたいになるのも嫌なので、そうならないように気を付けて書いたつもりではあります。

休職に至るまでの経緯

この会社に入ってすぐくらいからずっと、感じていたことがありました。
それは、最近知った言葉を借りれば
「心理的安全性が低い環境」であるということでした。

個別事例については細かく書きませんが、そう感じた理由は、ひとつではなくいくつもありました。
私は非常につらく感じていたため、都度、支援者には実際に起こった事(私の目から見えているもの)やその時感じた事を、細かくメールに書いて相談をしていたのですが、それを支援者とともに「会社に対するお願い」としてまとめて、定期面談の場で上司に伝えても、ほとんど何も変わらない状況でした。

そして入社1年目の終わりのころには、支援者から転職を勧められるくらいの状況になっていました。

ただ、私はその時点で転職せず、その後も引き続き働いていました(理由は後述)

入社2年目には、コロナの影響もありテレワークが中心となったことで、多少「まし」になったと思えましたが。
それは単に対人交流自体が減ったからであり、根本的に何かが改善されたわけではありませんでした。
そして入社3年目、去年の春~夏くらい、業務上の小さな変化の積み重なりから、またもいろいろと問題(と、私には思える事)が出てきたのでした。

それで結局、去年の8月下旬に適応障害との診断を受けて、休職に至ったというのが、流れです。

感じ方は人それぞれ

さて、私自身は「心理的安全性が低い環境」と感じていても、ほかの人から見たらそうではない、という場合もあります。
どう感じるか、は、人それぞれですから。

私自身はこれまでのことをいま振り返ってみても「パワハラではないか」とすら感じているのですが、支援者や職業センターの職業カウンセラーからは「パワハラまではいかない」と言われていました。
ただ、先ほども書きましたが「入社1年目の終わりのころには、支援者から転職を勧められ」ていたので、パワハラまではいかないにしても、「本人が適応できずに苦痛を感じているという状況であった」ということについては、支援者も理解してくれていたと考えられます。

休職に入ってからの流れ

休職に入ってからの流れとしては「環境調整を強く希望する」私と、「今のままで問題ない」「会社はすでに十分な配慮を提供している」とする会社とのやり取りが続きました。
実は休職前からすでに「環境調整の希望」を何度か出していたのですが、却下され続け、さらにその却下理由は教えてもらえないという状況でした。

なので、私がいくら言ってもダメなら、「主治医の意見」として会社に言ってもらえれば少しは聞いてくれるかも、と思ったのですが、私が主治医に「会社に対して配慮に関する意見を出してほしい」と依頼したら、なんと主治医がまさかの拒否。

その理由は「会社の様子がわからないから」というものだったのですが、最初ここに通院を始めたときにはカウンセリングで職場の問題についてすでにカウンセラーにいろいろ話をしていました。
そしてカウンセリングで話した内容は主治医にも共有してほしいとあらかじめ頼んでありました。
なのに、主治医は「会社の様子がわからない(から出せない)」というのです。
確かにカウンセリングは途中でやめたので、そう言われても仕方がない部分はありますが。でも診察室で結構職場の話を言っていたのに、それなのにわからない、ってどういうことなのか・・・

そこで支援者に相談したところ、支援者の勧めで

会社から主治医に勤務情報の提供をする

それを踏まえて主治医が会社に対し、業務上必要な配慮について意見する

という段取りを踏むことになりました。

この話を支援者としたのが、休職に入ってすぐくらいのころです。
(休職日記 2で、「9月上旬に支援者とオンライン面談をした」ことを書きましたが、その時話したのが、主にその話でした。
また、同じく休職日記 2の最後のほうで「会社に対しお願いをしていることがあって」と書いたのが、「会社から主治医に勤務情報の提供をしてもらえるよう、支援者を通してお願いしていた」ときの話です。)

そして9月下旬くらいに、私自身が困っていることについて時系列で紙にまとめて主治医に提出。
会社からも勤務情報の提供があり、それをもとに、10月半ばくらいに一応主治医から会社に意見してもらえたのですが、それをもってしても、復帰に向けての話し合いの場が設けられるということはなかったです。

なお、「私自身が困っていることについて紙にまとめたもの」を渡した段階で、すでに主治医から
「これを見る限り(配慮は)難しそうだと感じるので転職も視野に入れて考えたほうがいい」
との話あり。
さらに事務職ではなく別の職種にした方がいいとか、キャリアカウンセリングを受けた方がいいともいわれ、職業センターに行くことをすすめられました。

それで職業センターに間に入ってもらおうと思い、11月に職業センターの説明会に行き、12月に支援者、職業センター、私の三者で面談しました。
その後会社と私、支援者の三者での面談をおこない、その際に、職業センターの介入について許可してほしいとお願いしましたが、1月になってから、会社から「会社は職業センターの利用を希望しない」との返事がありました。(会社が希望しなければ、職業センターもそれ以上介入することはできません)

それを受けて再度支援者、職業センター、私の三者で話し合いました。
会社も支援者の話は聞いてくれるという感じだったので、
「職業センターで職業評価を受けて、その結果をもとにして再度、支援者を交えて会社と交渉」
という流れで動いてきました。

この流れの中で、2月下旬くらいに(職業評価の結果がまだ完全に出る前でしたが)、再度支援者から会社へ、
「本人はこういう配慮を必要としている」
旨を伝えてもらったのですね。
(主治医が出した意見とはまた違った角度からの意見)

それで会社が支援者の話を聞き入れてくれて、配慮についての話し合いが行われて、双方にとってよい落としどころが見つかれば、場合によっては3月下旬か、4月頭から復職できるかも、と思ったりしていたんです。

が、結果として会社の態度が変わらず、話し合いの場が設けられることがなかったので、支援者を間に入れて「よい落としどころ」となるのはどこなのかを探った結果、最終的に復職をあきらめ、自然退職の形をとる、ということになりました。

私としては、やれるだけのことはやったので、この結果については、もう仕方ないと考えました。

退職準備

「復職せず自然退職の形をとる」ことが実際に決まったのが結構早かったので、4月はわりと「退職準備」が忙しかったです。

まず、会社とのやり取り。
離職票の件とか、健康保険の資格喪失票の件とか、休職前に自分のロッカーに残してきてしまった私物の件とか、会社から貸与されたままになっている備品の件とか、その他いろいろ。

また、退職後も引き続き傷病手当を受給し続けることになったらどうしたらいいか、ということについては、協会けんぽに電話をして、「退職後も引き続き傷病手当を受給し続ける場合の注意点や手続きの方法」について確認をしていました。

そして、退職後も引き続き傷病手当を受給し続ける場合は、雇用保険の受給期間の延長ということもできるらしいと知りましたので、その件についてもハローワークに電話して確認したり。

あと、退職したら健康保険や年金の切り替えがあるので、その手続きの件も役所や年金事務所にあらかじめ電話をして、いろいろと確認しておきました。

そういった手続き関係の確認をしながら、普通に通院したり用事こなしたり等していたので、4月は割と忙しかったです。

会社と労働者の認識のずれ

会社としては一貫して「業務で結果を出していることについては評価している」という姿勢でした。
結果を出しているのだから適性がある→だから今のままで問題ない、これ以上何かすることはない、という考えなんだと私には感じられました。

が、労働者の視点としてみたら

・結果が伴わなければ評価が下がり、あまりにも評価が低ければ給料を下げられる、最悪退職勧奨されるのではないか

・ある程度仕事ぶりが評価され、結果が出れば、こちらのお願いも通りやすいのではないか


という考えがあったので、
「無理してでも頑張った→その結果休職につながった」
という感じなんですよね。

適応が難しい環境の中で、無理して出した結果なので、それで「業務への適性はあるので、特にこれ以上の配慮は必要がない」と判断されるのも、なかなかつらいものがありました。

また、こちらが要求した配慮が、会社にとって過重な負担であるならば、その理由の説明や、代替案の提示等があってもよいのではないかと私は思っていたのですが、そういったことを話し合うことすらなかったです。
こちら(私、支援者)が何を言っても「これ以上はできない」という返答が続きました。

ここまで辞めないで働き続けた理由

さて、ここまで書いて思ったのですが、私はそんなつもりなくても、読む人の立場によっては、やっぱり会社批判みたいな感じに思われますよね。
ただ私としては、そういう意図ではないです。
先にも書いた通り、「心理的安全性」というものについては「感じ方は人それぞれ」なところもあると思うので、私が「安全性を感じない」と思う環境であっても、私以外のほかの人は「安全である」と感じている可能性はあります。
いや、その可能性のほうがはるかに高いです。だって同じ部署内でメンタル不調で休職しているの私だけですから。

思い返せば「この環境は私にとって適応が難しいかもしれない」と感じる場面はいくつもありましたし、その場面ごとに「このまま進むか、辞めるか」みたいな選択の余地はありました。

ただ会社側とすれば、労働者側から辞めたいと言い出せるタイミングがありながら、辞めないということは、
「この環境で問題なく働けると本人が思ったから辞めないで残っている」
という風に考えると思います。
(あくまでも推測ですけど)

そりゃ平行線にもなるなという感じですよね。

「辞めやすいポイントがありながら辞める選択をしなかった」のは、やはり自分の中に「これ以上職歴を増やしたくない」という思いと、あとは「障害者雇用だし、配慮希望を出したら、会社は聞いてくれる」という勝手な期待があったからなのだと思いました。

主治医について

ちなみに昨年10月に主治医が会社に対して出してくれた「意見」なんですが、これがことごとく「的外れ」な意見だったんですよね。
また、職業センターに相談に行くことを勧められてからというもの、私が何か言っても大体「それは職業センターに言ってくれ」とか「支援者に間に入ってもらうように」とかいうような感じで、もう職場についての相談ごとは、傷病手当の申請を書くのと、毎月休職延長の診断書を書く以外、ほぼ職業センターと支援者に丸投げというような感じでした。

そのため途中から転院を考え始めていたのですが、それについても、
「休職中に転院した場合、転院前の通院先の最終受診と、転院後の通院先の初診との間が空いてしまうと、その間の期間については、傷病手当の申請の際の医師の証明が受けられなくて、傷病手当を受給できない期間ができてしまう」
という状態でしたので、いろいろ考えた結果転院はやめました。
その代わり、今の通院先は、複数の医師が在籍しているので、この4月から、主治医の変更をお願いしました。

余談ですが、つい先日新しい主治医に聞いたのですが、環境調整(例えば労働時間とか、配置転換とか)について「医学的にみてこういう配慮が望ましい」というのは、主治医から会社に対して意見できるそうなのです。(ただし会社がその通りにするかは別とのことですが)。
え~そうなの!?って感じです。
前の主治医は何であんな渋っていたのかワカラナイ・・・

今後について

支援者とも話し合っている真っ最中なのですが、私の場合再就職を考える前に、「心理的安全性が感じられる範囲が人より狭い」とか「ちょっとしたことで私が過剰反応する」(休職日記 6にちょっと書きました)という部分をまずどうにかしたほうがいいのではないか、という話になっております。

そのため、支援者の勧めで、今の通院先とは別で、民間のカウンセリング施設を利用し始めました。
まだこれを書いている時点ではカウンセリングが始まったばかりなので、これからどうなるかわかりませんが、今後カウンセリングが進んでいったら、その話もまた別で書いていきたいなと思っています。

これまでお読みいただきありがとうございました。

発達障害者が少しでも生きやすくなりそうな情報(本、ネットの有料記事等)の購入費用に充てますのでよろしくお願いします★