みんなやってる凄いこと
子どもってやつは、なんと教わることの多い存在だろう。
母になり、2ヶ月と少し。物理的にはお世話をしているけれど、精神的にはめっちゃ育てられているなと思う。
なにより、出産という壮絶な経験をたくさんの女性たちが済ましてきたという事実に、いまさらながらビビる。少なくとも1世紀分くらいの期間内に日本の人口一億数千万人分、この国のどこかで妊娠と出産が行われてきたのだ。そして今この瞬間もきっとどこかで、新しい産声があがっていることにビビる。
「みんなやってること」
妊娠出産を通して自分の中でゆるやかに、だけど大きく、さまざまな価値観が変わった。
たとえば私はこれまで「みんなやってること」を軽視して生きてきた。「私にしかできない仕事ってなんだろう」「私にしか出せないアイディアを出したい」ということばかり考えてたし、「私にしかできない」というアイテムがない自分にいつも、いっつも焦っていた。
だけど妊娠出産は、これはもう、女性がずっと、何年も、何百年も、何千年も、それこそ人類という存在がはじまってからずっとやってきたこと。つまり「みんなやってること」だ。だけど確実に私史上、どんな手術や怪我よりも辛かったし痛かったし、どんな腹立たしい出来事よりも理性を失った。
あと育児。仕事でめちゃくちゃ忙しい時期よりもはるかに寝不足になるし、35歳にして「もう無理...」のレベルがだいぶ引き上げられた。仕事の理不尽なんて非にならない理不尽が降ってくることが常なのである。
「母親」と呼ばれている人が「みんな」やってきたことを経験して気づいた。たくさんの人がやってきたこと=大変じゃない、ではない。全然ない。
「フリーランスになるなんて、度胸あるね」と言った3人の子持ちの友へ。産む大変さや不安に比べたら、フリーランスのそれは全然だよ。
「私なんて育児しかしてない」と言った友へ。多くの仕事より時間がかかり、多くの仕事よりも達成感が得られにくい育児ができたらなんでもできるって!
「うちの嫁は専業主婦だから世間知らずだ」と言ったどこかの飲み屋で隣り合わせた見知らぬ男へ。とりあえず新生児からやり直せ。
女手ひとつで私を育ててくれた母へ。本当にありがとう。
子育ては大変だ。
だけど、だけどね。
やっぱり子はかわいい。愛しい。しかも理不尽でもなんでも、泣く以外にできる意思表示がないのが赤ちゃんだ。つまり泣くことは赤ちゃんにとって唯一の、伝えようとする努力なのだ。その努力に応えられるのは私しかいない。
ずっと探してきた「私にしかできない仕事」は、実は「みんながやっていること」のその先にあった。だから「みんなやってること」=誰でもできる、んじゃなくて、みんなやってようが誰もやってなかろうが「自分なりにどうやるか」が大事なのだ。子のおかげでやっと気づいた。やっぱり私は、子に育てられているのである。
むかし、尊敬する上司に「大変という字は“大きく変わる”と書く」と教えられた。いま私は、大きく変わっているのだなと思う。これから育っていく子と、育っていく自分をたのしみに、今日も朝から乳をやっている。