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2021年いちばん「凄かった」本

まだ今年は終わっていないけれど、2021年に読んだ中で、いちばん「凄かった」本はどれかと聞かれたら、迷わずこの本だと答える。

『往復書簡 限界から始まる』

本は、フェミニズムの第一人者である上野千鶴子さんと、慶応大学→AV女優→記者→作家という異色なキャリアを積んできた鈴木涼美さんが「エロス資本/母と娘/恋愛とセックス/結婚/承認欲求/能力/仕事/自立/連帯/フェミニズム/自由/男」をテーマに言葉を綴り合う「本気の」往復書簡だ。

この本、実は9月に読了していて、あまりにも知的なやりとりだったし、あまりに衝撃的だったので、文章にする自信がもてず書くことができなかった。

だけどそれでも、重い腰をあげて書こうと思ったのは、この本を必要としている人、読むことであらゆる思考の機会を得られる人がたくさん、たくさんいると思ったから。少なくとも私はこの本を泣きながら読んだ。いろんな意味で、泣きながら読んだ。

はじめに、断っておきたいこと

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ちなみに上野千鶴子さんと聞いて頭に浮かぶのは、フェミニズムじゃないだろうか。この本もフェミニズムの話は切っても切れない関係にある。というかほとんどのやりとりにフェミニズムが関与している(と思う)。だけど私は、この記事の中でフェミニズムについて触れないことを先に断っておきたい。

少しだけ自分の話。私には嫌いな人が3人いて、その中のひとりは、顔も名前も知らない実の父親だ。性格を知らないので、嫌いというより「許せない存在」なんだと思う。

人生で1番最初に関わった男性を嫌ったからなのか、私は長いあいだ男の人が嫌いだった。いや、苦手?怖い?なのかな?感情の詳細はわからない。だけど長年男性への屈折した恨みのようなものがこびりついていたのは確かで、今でも屈折した感情があると思う。

もちろん、好きな男性はたくさんいる。夫を愛しているし、一生付き合いたい男友達も、一生かけて恩返ししたい人もいる。尊敬する人も、よきビジネスパートナーも、お世話になっている人もいる。そして男女関係なく嫌なやつは嫌なやつだとも思っている。

だけど結局、「知っている男性」には好意をもてても、「男」というひとくくりに対してはまだフェアな感情を抱ききれない。それが個人的な経験に基づくものがある以上、私にフェミニズムを語る資格はないと思っている。男女関係なく、真摯に活動している方々の名誉を傷つけてしまう気がするから。

というわけなので、「上野千鶴子さんといえばフェミニズムでしょう!」という方には最初に謝ります。それについては書きません。ごめんなさい。だけど、この本はフェミニズムの話を抜きにしても、語りたい魅力がいっぱいある。

凄まじい言語化に感動し、怖くなった

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本を読み進める中で、なにより感動したのは「言葉」だった。圧倒的な言語化。たとえば鈴木さんは、性行為について「最も初期投資のいらない売り物」だと言った。この表現、凄すぎると思った。

だってきっと、多くの女性は「自分を大切にすることができなかった時期」を振り返って「すり減らせてきた」「削った」みたいな言葉を使うと思う。だけど鈴木さんは「最も初期投資のいらない売り物」だと言う。冷静で客観的で、ある意味、投げやりだ。彼女の男性(もしくは性行為)に対する絶望と、怖いくらいの客観力が伝わってくる。

その後も、回を追うごとに鈴木さんの絶望はどんどん言語化されていく。

私の感覚的に、女と肩を並べたり女に教わったりしながら働くことに慣れてきた今の男性たちは、尊敬の対象(先生や同僚)、庇護の対象(妻や娘)、性の対象(娼婦や愛人)というように、女性をシンプルに3種類に分けて認識しているような印象がずっとありました。

(中略)男は女がこの境界を跨ぐのを嫌う傾向があります。(中略)おそらく悪気なく女をジャンル分けして、そのジャンルの中にとどまらせるのが好きで、そうである限り尊んでくれるような気がしていました。

今、男たちに向かって「間違っている」「こんな扱いは嫌だ」と発言するような若い女性たちを眩しい思いで羨ましく思う私の気持ちの半分は、彼女たちの中にある「理解し合える」という希望に対してのもののような気がします。

たった数行で書かれるこの言葉たちに、鳥肌がたった。私は文章を書く仕事をしているし、なるべく言葉を探す努力をしていると思っている。だけど、冒頭で父について書いたように、一番嫌な感情のことは全然言語化できない。思考が止まる。どうしても人に見せられるような文章に仕上げることができない。

だけど鈴木さんは言葉にする。恐ろしいほど客観的な解釈を、丁寧に言葉として表現する。強いと思うし、怖いと思うし、大丈夫なのだろうかとも思う。

もし私がここまで絶望を言葉にしてしまったら、できてしまったら、どうなるだろうか。生きていけるのだろうか。

だけど自らの経験を綴る文章を生業とする鈴木さんにとっては、ここまでやってプロだということなのだろうか。「書く仕事」についても、少し怖くなった。

本気の言葉のぶつかり合い

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言語化しかり、言葉のぶつかり合いが凄い。知的だけど切実な本音で、ときにヒリヒリする言葉も交わされ、互いの傷口を深くえぐりながら真剣な言葉の紡ぎ合いが繰り返されていく。

たとえば鈴木さんは、上野さんにこんな質問を投げかける。

なぜ上野さんは男性に絶望せずにいられるのですか。

ちなみにこの往復書簡はいつも鈴木さんから始まっている。だから鈴木さんの文を読みながら、上野さんがどのように返事をするのだろうかといつも想像しながら読むことになる。

この悲痛な言葉への返信を選ぶのは難しい。だけど上野さんは、厳しくも愛情たっぷりに言葉を紡ぐ。

「しょせん男なんて」と言う気は、わたしにはありません。「男なんて」「女なんて」というのは、「人間なんて」と言うのと同じくらい、冒瀆的だからです。

こんなやりとり、一体誰とできるだろうか。

先ほどの「最も初期投資のいらない売り物」発言に対しても、上野さんはこう返している。

あなたの倍近く、長く生きてきたわたしは、上から目線と言われても、あえて言いましょう。ご自分の傷に向き合いなさい。痛いものは痛い、とおっしゃい。ひとの尊厳はそこから始まります。

こんなことを、一体だれが言ってくれるだろうか。SNSでの短いやりとりが溢れる現代で、こんなに濃厚で手加減のない応酬は、今この地球上でこの本以外に果たして存在するのだろうか。

少なくとも私は、こんなにも誰かと向き合ったことはないし、おそらくこれを私が誰かとやろうとしたら、言葉選びと自己観察の未熟さで喧嘩になってしまうと思った。

反省しました。

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最後に、私はこの上野さんの言葉で、自分の中の男性嫌悪について考えを改めることにしたので引用したい。

あなたは何度も「上野さんはなぜ男に絶望せずにいられるのか?」と訪ねてきましたね。ひとを信じることができると思えるのは、信じるに足ると思えるひとたちと出会うからです。

そしてそういうひととの関係は、わたしのなかのもっとも無垢なもの、もっともよきものを引き出してくれます。

私は冒頭、父への嫌悪から男性への偏見がはじまったように書いたけれど、考えてみれば幼いころから信頼できる男性(祖父や弟)は近くにいたし、私に暴力を振るった男はいたけれど、私を守ってくれた男もいた。傷つけられたこともあるけど、傷つけてもきたのだ。

私は男性との関係において、たくさん「よきもの」を受け取ってきたのだ。悪意ばかりを育てていたのは自分だった。

「往復書簡 限界から始まる」は、すべての人におすすめ!と言える本ではない。だけど女性なら誰しも、痛みや感情の揺らぎ、怒りや悲しみを感じる、感情を揺さぶられるところがある本だと思う。男性は... どうだろうか。

私にとって「いい本=熱が出そうなほど思考をしたくなる(させられる)本」なので、そういう意味で、この本は私の人生において、とても必要な一冊になった。

今後きっと何度も読み返し、それぞれのテーマについて何度も考える時間を持つだろう。30代という絶妙なタイミングで出会えたことを幸運に思う。それにしても、何度見ても凄いタイトルだ。

※引用文は表記ママにしているため、「私」「わたし」など表記がゆらゆら揺れております。ご了承ください。


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