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ハッピーでもバッドでもない人生を、ささやかな思い出と生きていく

昔、深夜にどうしようもなく悲しいことがあり、男友だちを呼び出してドライブに連れて行ってもらったことがある。

彼は泣いたり怒ったりする私の話をずっと聞いてくれたあと「俺、町を出ようと思ってるけど、一緒に行くか?」と言った。いつ?と聞くと、今。と言う。きっと何か事情があったのだろう。好きでもない女を連れて行きたいほどの孤独を考えるとノリで行ってあげたい衝動に駆られたが、結局なんとなく断った。20年前の話だ。

そんなたわいもない記憶を思い出したのは、短編小説『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を読んだからだった。

ある取材で紹介してもらった小説だった。その方に感想を聞くと「ポジティブな物語ばかりではないけれど、思い出を温めながら前を向くしかないことも含めて、生きるってことなんだなぁと思った」と話してくれて、「思い出を温める」という表現が気になり購入したのだった。

小説はその方が言ったとおり、それぞれの登場人物がそれぞれに、幸せとか不幸とか楽しいとか辛いとかの言葉では言い表せない出来事に見舞われる。もどかしいシーンも多く、お願いだからこの先この人が幸せになる瞬間が訪れますようにと祈りながら終える物語もある(というかほとんどがそれ)。
ああ今の私が読みたい種類の本だ、と思った。

ここ一年くらい、なんともいえない気持ちになる物語にしか興味が持てなくなった。子どもを産み、育てているからかもしれない。育児をしていると幸せとか不幸とか、言葉にすると正反対に見える感情が実は地続きだと気づく。

人生で一番痛くて苦しい思いをした直後、人生で一番幸福な気持ちになるのが出産だったし、もう無理限界いつまで泣くねんチクショーと泣いた数分後に寝顔が超絶可愛くて充電完了♡とか思うのが育児だ。

これだけハッピーとバッドが瞬時に切り替わる日常を経験すると、きっぱりとしたハッピーエンドもバッドエンドも嘘くさく感じてしまう。両方を行き来しながら、この先大変だし苦しいこともあるけど、楽しいこともちょっとあるよね、あるといいな、みたいな物語にリアルを感じてしまうのだ。夜空に泳ぐチョコレートグラミーはまさにそれだった。


20年前、ノリでついて行っていたら私の人生はどうなっていただろう。顔は好みだったから、ぜんぜん行っても良かったんだけど。

人生は選択の連続であり、ときどきこうして選ばなかった人生を思い出すのもまた人生である。
彼がどこかの町で楽しく暮らしていますように。


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