3月の日記 〜移動中にドラマ〜
1日(金)
すごくいい雰囲気の人を取材。子を産んでからというもの、いい雰囲気の人を見ると「この人の親はどんな人なんだろう」と気になってしまう。さすがに聞けない。
2日(土)
友だちの夫さんの話に「そりゃないぜ」と思い、そういうとき怒りをどう消化するのかを聞くと「お客さんだと思うことにした」と言っていて、妙に頭に残った。「期待しないことにした」というやり過ごし方を本当によく聞くけれど、そのたびに私には無理だと思ってしまう。期待しないと決める毎日は私にとって恐ろしくむなしい。それなら大変でもひとりがいい。私はどこまでも自分が1番大事なんだと思ったし、だけどそう生きるためにひとりを選ぶというのは間違っている気がする。
3日(日)
ふと、息子の成長を早送りできたり遅くできたりする機械があったら使うかな?と思ったが、絶対に使わないなという結論に至る。「ずっと今のままでいて欲しいかわいい」という気もちと、「早くお喋りしたい、息子の個性をたくさん見たい」という気もちがちょうど半々で、だから成長が早すぎても遅すぎても困ってしまう。
4日(月)
自分の本心を本心の状態のまま保つことが難しい。気づけば一般的な考えっぽい言語に当てはめてすっきりしようとする自分が悔しい。私がたしかに得た感覚を、私自身が蔑ろにしている。
5日(火)
ドラマを見る時間がないので、運転中にTVerでドラマを「聞く」ことを思いつく。やってみると快適で、だけどドラマに対してあまりにも失礼な気がして後ろめたい。自分のこういうところが色んなことをダメにしている気がするが、きっと私はまた移動中にドラマを聞くだろう。
6日(水)
自分はうまく人に助けを求められないのに、友だちには頼って欲しいと思ってしまう。これは傲慢か、おせっかいか、はたまた痩せ我慢か。
7日(木)
息子があまりにも洗濯物をたたむ邪魔をするので夫のTシャツを着せてみると、てるてる坊主のようになった。こんなにも大きな存在だけど、サイズ的には夫の上半身にも満たないのかと思うと無性にかわいくて、何度も抱きしめた。
8日(金)
Xで気になる書評が流れてきた。「観察は裏切らない。他人を詮索しないしカテゴライズもしない。つまり、他人を利用せずに済むのだ。」という一文が頭にこびりつき、しばらく仕事が手につかなかった。本はもちろん買った。
9日(土)
家族3人でおでかけ。先日もらったお下がりの黒パーカーを息子に着せ、私も黒パーカーを着ると夫が「俺も黒パーカー着ないといけないやつじゃん」と言うので「着ろよ!」と圧をかける。家族3人が黒パーカーを着るとなんだか泥棒一家のような雰囲気が出てよかった。中でも私はキャップを被っていたのでいよいよ泥棒っぽかった。パンパンに膨らんだカーキーのリュックには工具などが入っていそうだ。実際はすべて子どもグッズなのだけれど。
10日(日)
友だちからしおりをもらった。しおりをもらうとすごく自分を理解してもらえている気分になりうれしい。
11日(月)
デパートで取材。ついでに自分の服を買おうと思ったけれど、いいなと思った服がことごとく高くてやめた。だけど子ども用の雨ガッパと長靴がかわいくて、そっちは我慢できずに買った。水遊びが好きな息子が大雨の中カッパではしゃぐ姿を想像すると、買うしかなかった。
12日(火)
自分の時間が全くないと人間はひどい精神状態になるのだと子どもができてから知った。鍵がうまく抜けないくらいで世界中のすべてが私を否定している気分になり、泣き出しそうになる。以前の私なら、鍵が抜けないくらいで涙目になっている人間を見たら、メンタル弱すぎヤベェと思っただろう。自分はメンタルが強い方だと思ってきたけれど、恵まれていただけなのだと気づく。そういえば昨晩、スピリチュアルなおじさんにセクハラされる夢を見た。私は今、地球上のすべての力や存在が信じられないのかもしれない。
13日(水)
怒ったり落ち込んだりする自分を戒めようと、尊敬する人のnoteを片っ端から読んでいると、尊敬する人もみんなちゃんと怒って落ち込んでいた。怒りと落ち込みをなくそうとするよりも、そこで発生したエネルギーを大きなところに向けて使うことができれば、この人たちのようになれるのかもしれない。
14日(木)
夫が出張に行くと、たちまち息子がいい子になる。気を遣われているのだろうか。
15日(金)
すごく綺麗な人に「ビスケットって感じですね!天使みたい!」と言われ、ビスケットも天使もピンとこなかったし、私はアラフォーにもなってビスケットみたいな印象なのかとシュンとした。笑ってくれそうな友だちに電話しようと思ったけどやめた。
16日(土)
夫が出張から帰ってきた。お土産に羽雲のどら焼きをリクエストしていたら、羽雲だけでなく違うメーカーのどら焼きを2種類買ってきた。なんでやねんと思いつつも、夫のそういうところは昔から憎めない。
17日(日)
支援センターにいくと時々、絶対におもちゃを譲らない子どもに遭遇する。何時間も人気のおもちゃを占領し、他の子が触ろうとすると凄い剣幕でもぎ取る。その親は見て見ぬふりだ。だいたいこういう時「順番だよ」「みんなで遊ぼうね」と親が子どもを諭して譲らせることが多く、私もそのようにしているので、わざとらしく目を逸らす親を見ると嫌な気もちになってしまう。だけどこういう時、果たして息子はどう感じているだろう。子どもからすると自分の親にはそのように振る舞って欲しいかもしれない。自分の子には「順番ね」といって我慢させるのに、順番を守らない子に何も言わなかった私は建前ばかり気にしているのではと、情けない気もちになった。
18日(月)
人生にはいろんなシーズンがあるけれど、今シーズンはなるべく、極力「機嫌よく過ごす」努力をめちゃめちゃすべきだと思った。
19日(火)
弟と母子家庭についてLINEで語り合った。弟がとてもいい人間でうれしい。
20日(水)
最近イヤイヤ期なのか息子にたくさん叩かれる。言葉が話せないので何に苛立っているのかわかってあげられないことが多く、わかったとしても叶えてあげられないことも少なくなく、そのたびにごめんねと思いながらも小さい手でバンバン叩いてくる姿が不謹慎だがとても愛しい。成長しているんだな、私は甘えられているんだなと思うとニタニタしてしまう。人に叩かれて笑うのは初めてである。
21日(木)
移動中に聞いていたアベプラで、10代の出産が増えている件について議論しており、その中で「10代では子育てをする忍耐力がついていないと思う」という声があった。そうだろうか。少なくとも私は10代の頃より今の方が忍耐力がない。10代に足りないのは、周囲の理解と感受性の鈍磨と、人を優先できるほどちゃんと遊んだ過去じゃないだろうか。私が30代で産んで良かったと思うのはその3点である。
22日(金)
朝も夜も、ズボンとおむつを自分で脱ぎ、おむつをゴミ箱に捨てる息子。そして新しいおむつを嫌がり、裸でウロウロする息子。最近食べないマンだったが、次は着ないマンになるのか?戦いは続く...。
23日(土)
熱でふらふらしながらワンオペ育児。二日酔いの夫がしんどそうに煙草を吸っている。酒も煙草もしてない自分に熱があることが許せないと思った。
24日(日)
夫が発熱。酒飲んで煙草吸って発熱するなよ、と思った。
25日(月)
体調不良が長引いており、もはや一生体調が悪いのではという気分になる。気晴らしにヨガにでも行こうかなどと頭のおかしいことを考えはじめている。
26日(火)
体調が相変わらず悪いのに、読みかけの小説が止まらず夜更かしをして悪化した。
27日(水)
妹の就職祝いを買った。彼女はこれからきっとたくさんいい仕事をするので、いい仕事から生まれたお茶碗にした。価値がわからなくてもいい。毎日触れることで、エネルギーのようなものを受け取ってほしい。
28日(木)
息子が自分の食べているものを私に食べさせようとあーんを迫ってきた。口を開けると息子も大きく口を開けている。集中して無意識に同じ動作になったのだろう。かわいすぎる。
29日(金)
妹から就職祝いのお礼LINEが届く。こんなに早く届くのか。全然近いんだなぁ。なぜかお礼とともに犬を散歩している母の写真が送られてきた。晴れた空と菜の花が背景でいい写真なはずなのに、母の顔が険しすぎて最強のカカシみたいだなと思った。思ったままを返信した。
30日(土)
知人がストーリーズで、保育士さんに一年の感謝を綴った手紙とお菓子をプレゼントしたと書いていた。その発想がなかった自分が恥ずかしくなり、すぐに真似をしようと決め、知人に真似をしますと伝えた。
31日(日)
保育士さんに手紙を書いた。多すぎず少なすぎない文章で感謝を伝えたいし、できれば少しでも報われてほしいと願うけれど、いまいちの出来。なんのために私は毎日文章を書いているんだろう。悔しい気もちになった。