ネガティブなnoteを書く時
私のnoteの題材はたいてい日常生活の中にある。
普通に生活していれば楽しいことや嬉しいこと、胸を張って書けることばかりではない。嫌な事や腹が立つこと、悲しいこともある。
そして、そういうネガティブな事柄の中にもたくさんの気づきがあるから、それをnoteに書こうと思うことはある。
ただ、ネガティブな事柄をnoteに書くことには難しさを感じている。ひとつ間違えると、単なる愚痴noteになってしまうからだ。自分が吐き出してすっきりするためだけに書くことはしたくない。
愚痴にならないように完結させる書き方は一つではない。複数の方向性が考えられるだろう。
例えば、今の世の中への怒りの感情を書き、それを読み手が共有して感情を吐き出すことですっきりと溜飲を下げるということもあるかもしれない。
また、悲しかった出来事をただ淡々と書くことで読み手の琴線に触れ、文中で言葉によって直接は触れられていない感情を読者の中に湧き上がらせるような書き方もあるかもしれない。
けれど、そういう書き方は今の私にとっては非常にハードルが高く、もし私が書いたなら、読み手の心をどんよりと曇らせる結果になる気がするのだ。
私のnoteを読んでくれた人が、読んだ後に嫌な気持ちになってほしくないと私は考えている。
ネガティブな出来事やネガティブな気持ちを書いたとしても、最後まで読み終わった時に、読んだ人が温かい気持ちや、ちょっとした希望を感じられるようなものを書きたい。読んでくれた人が、その日の残りの時間ををいい気分で過ごせるようなnoteにしたい。
実は、これは私のnoteのテーマでもあるのではないかと思う。
どんな内容を書いたとしても、目指したい部分。
はっきりと意識していたわけではないが、このテーマはノートを書き始めた時から頭の片隅にはあった。
それほど読んでくれる人がいるわけでもないのに「読み手の気持ちを考えて書く」なんて考えること自体がおこがましいと言う意見もあるかもしれない。
しかし、私にとっては読んでくれる人がたったひとりだとしても1000人だとしても、読み終わった後にいい気分でいてもらいたいという気持ちは同じだ。人数が多いから気をつける、人数が少ないからまあいいや、というわけにはいかないのである。
そして、読み手がゼロということは起こらない。
なぜなら、私自身も読み手のひとりだからだ。
私自身がnoteを読み返した時に嫌な気持ちになるnoteにもしたくない。(それは、嫌な気持ちだった出来事自体を書かないということとは違って、あくまでも読み終わったときに嫌な気持ちにならない、ということだ。)
そのために、どうしたらいいのか。
言葉を選べばいいのか、前向きな気づきを書けばいいのか。それとも?
その答えは見つかっていない。
おそらく、全ての文章に共通するやり方はなく、その時その時に自問自答しながら書いていくしかないのではないかと感じている。
ああ、なんだか大風呂敷を広げるようなことを書いたかもしれない。そもそも読み手がどう感じるかを予測すること自体が不可能かもしれない。
それでもやはり、読んだ人が少しでもあたたかい気持ちになったり、ホッとしたり、そんなnoteを作っていけたら嬉しい。だから、noteの向こう側にいる誰かを想いながら書いていく。
それは、優しさがあるnoteの在り方と言えるだろうか。