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志ってなんだろう?お仕事・ビジネスから考えてみた意味と定義
空飛ぶ引きこもり物語ライターの千聖(ちさと)です。
最近のテーマが、志を見つける。
というようなことで、それをお仕事にしようとしているお客さんがいらっしゃるので、すごく重要なテーマでもあるのですが、志のことをいっぱい考えるとゲシュタルト崩壊みたいになってくるので、そもそも志ってなんだろう?
というその定義がちょっと気になってきて
そうしたら、昔のメモが出てきました。
志とは・・・
私の夢は 作家になることです とは言うけれど
私の志は 作家になることです とは言わない
私の志は 人を助けることです みたいな感じなら言う
みたいなのが出てきて、あー、たしかにー!となりました。
職業ではないんですよね。
職業は手段であって目的ではないという感じでしょうか。
私も小説家になりたいと思っていたけれど、実はやりたいことはそれではなくて、深めていったら、自分の人生を変えてくれたような小説のように、人の人生をより良い方向に変えられるようなストーリーを届けたい。
と思っていたこと・・・
そのためにいわゆるな小説家という道だけじゃない道も見るようになったら、編集者的なポジションがしっくりきはじめて、好きなことが仕事になっていきました。
「私の志は 人の人生をよりよい方向に変えられるようなストーリーを綴るお手伝いをすること」
志、という言葉に、ちょっとしっくりきたかな・・・
もうちょっと誰の為に、とか、よりよいってなに?とかを深掘りしてみると・・・
「私の志は 内気・引きこもり・自信がない気質の人が、好きなことを仕事にして、精神的にも経済的にも自立していくようなストーリーを綴るお手伝いをすること」
具体的になりました。
でもたぶん、志というと、もうちょっと大局的なものが、志という言葉にふさわしい感じかもですね。
ある人が、志とは、次世代にも受け継ぐものだ、というような感じでおっしゃっていたようでして、なるほど、となったのですが・・・
例えば、この世界から戦争をなくす、みたいな。
とても大きいテーマで、そんなのなしえる事なんてできないかもしれない、だけど、だからといってもう無理だよ、と諦めてしまったなら、きっと明日にでも核が飛び交う世界になってしまう。
なくすことなんてできないかもしれない。
だけど、それでも目指し続ける。
諦めずに、磨き続ける。
今日もまた、最前線できっと、そんな風に踏ん張る人たちがいるから、今日のご飯どうしようなんてことも悩める。
そして実際に、世の中はだんだん悪くなるような報道ばかりだけれども、実はファクトフルネスという本が証明してくれていたように、世の中は徐々に徐々によくなってきています。
1970年代時には飢餓、低栄養状態の人が28%だったけれども、2015年には11%、半分になった。
乳幼児の死亡率は、1800年代のとき44%だったけれども、2016年の際には4%
核兵器、核弾頭の数は1986年の際には64だったのが15(単位は千発)
大気汚染、ひとりあたりの二酸化硫黄排出量1970年代は38kgが2010年は14kg
いずれの表も、その瞬間の一時的なものではなくて、減り続けていることを示していました。
引用:FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 より
それはきっと、今まで諦めてこなかった人たちが繋いできたもの。
鬼滅の刃でも語られていたような、諦めそうになりながら、途中で挫折した人もいたかもしれない、鬼に乗っ取られた人もいたかもしれない。
だけどそれでも、誰かが諦めなかったからこその今が、あるのかなと。
それを考えると、なんだか目頭が熱くなって、私も次に繋げられるような、志のあるお仕事をしていきたいなという気持ちになります。
考えるだけでわくわくする、熱くなる、磨き続けたいものとは
「まんがでわかる『ビジョナリー・カンパニー』の読み方」で語られていましたが、
ソニーが目指した志(ビジョナリー・カンパニーではBHAGと表現)は、日本の消費財は質が悪いという世界のイメージを変えること・・・だったそうです。
1950年代当時、日本製と言えば、安かろう悪かろうというイメージだったようなのです。
それを変えたのがソニー、すごい志を掲げて実際にやっちゃったのですね・・・!!!
世界のイメージを変える、なんて途方もないけれども、でもたぶん、そこで働き、モノ作りをする社員さんたちはそれを聴いたとき、いやいや無理だよと思いながらも、わくわくしたんじゃないかなあ、と、だからほんとうにやっちゃったんじゃないかなって想うのです。
たぶん最初は、社長何言ってんの?大風呂敷すぎでしょ、無理でしょ、という意見が大半で、でも一貫してずっと言い続けているうち、まあ、できたらおもしろいかもね、できたらいいよね、どうやったらできるんだろうね、あ、こうじゃない?こういう感じでやるのは?おお、できた、これは?おお、あれ?行ける?行ける気がする・・・?
みたいな感じだったんじゃないかと笑
私もそうやって言い続けられたら、気づいたら、行く予定がまったくなかったフィリピンにたった1年で、行くことになったことがあります笑
しかも0歳8カ月の息子連れだったので、なかなかなハードルを超えました。
だからきっと、志は、途方もなくて絶対に無理だよと思うようなことなのだけれども、なんだかわくわくしたり、燃えてきてニヤニヤしちゃうような、そんなことなんじゃないかな、と定義付けます。
そう考えると私の場合、途方もなく想えるけどニヤニヤすることは、
一通のメール、もっと言えば一行の文章で、その人のやりがいが見つかって、それに向けての力をもらえるような、そんな文章を極めていきたい、ということです。
子育てをしていても思うのですが、その子を心の底から信じて、伝える時と、疑ってかかって伝えるとき、その後の結果が全然違うということがあって、
心の底から信じて伝えると、素直になったり本心のようなところが出てきて、ちょっと成長したような表情を見せるという感じ
一方、疑ってかかって、怒鳴りつけたりして言うことを聞かせよう、という感じだと、余計に暴れたり、癇癪がひどくなったり、
というようなことがあって・・・
怒鳴って恐怖でしばりつけることは、親の立場であれば簡単かもしれない、だけどそれは、将来その子のためにはならないと思う。
どんな育児書を読んでみても、その子の個性を伸ばしたり信じたりして、甘やかすとは違うけれども、頭ごなしに言うのではなくて、一緒に考えたり寄り添ったりするような姿勢が大切だということが書かれていて。
子供というのはやっぱり人間の原点だと思うから、大人にそれが当てはまらないということはないだろうなと思うし、実際に、お客さんにも、お客さんの心の奥の想いを信じてお伝えした時ほど、豊かな結果になって行くような形になりました。
怒鳴ったり恐怖でしばりつけるは、洗脳みたいな感じのような感じがして、
洗脳ではなく、志や魂の覚醒みたいな感じのことがやりたい。
ライティングの世界では、コピーライティングというものがあって、それを使うと、洗脳が出来てしまうということも、学んできて、それを実際に使っているのが、悪徳宗教だったりするし、私の母も、まさに宗教で洗脳みたいなことになったので、身近なものでもあります。
そして洗脳はけっこうテクニック的にできてしまったり、短期間でやりやすいので、洗脳しましょう、扇動しましょう、というようなライティングを伝えている人が多いです。
だけど、それだと、私の母みたいに依存になったり、あいつが悪い、環境が悪い、親が悪いと、人のせいにしたりするような生き方になってしまって、目がうつろになってきてしまって・・・
それで幸せなら、それも良かったかもしれないけれど・・・だけど、そうは見えなくて、母を見るのが辛かったです。
母の本当にやりたかったことは、母の父母や夫を批判してお金をせびることではなくて、パッチアダムスのように、人を笑わせて治せるような看護師になりたいという想いだったから。
だからこそ、洗脳のような形、疑ってかかるのではなくて、時間がかかったとしても、めんどくさかったとしても、その人の本当の本当の奥底にある想いがどんな時もあると信じて、それがわああと湧き出てきて、ニヤニヤしながら、自分の力で進んでいけるような力。
それが自立ということであり、
そういう風な背中押しが出来るライティングを磨いていきたいなと想うのです。
そして実際に、私の先生である竹川さんは、会った2・3時間でそれが出来るので、ほんとすごいなあと思うのですが、
そんな竹川さんが、
「時間がかかるものと決めるのではなくて、どうやったら短くできるかとか、それを磨き極めていくことを目指してもいいんじゃないでしょうか」
それを聴いたとき、それはいいな、そういうのを目指していきたいなと。
だからこそ、一通のメール、もっと極めて行けば一行の文章で届けていけるような、そんな道を究めていきたい。
それが世界にどうかかわるのか、とかは、まだ私に言えるものはないけれど、ただ、内気・引きこもり・自信がない気質の人が、本当の本当にこうありたいという想いを、思い出せるような、そんな場を作る、というのが、今の私の志。
卒業します、とおっしゃってお別れした、あるお客さんが、
「未来型は、私にとっては勝手ながらネット上の実家のような感じです。」
とおっしゃってくださって。
それがとても嬉しくて、そんなふるさとのような場はいいなと。
外の場で何かあったとしても、引っ張られて、やりたい事ややりがいも何もなくなるような時があっても
ここに来てくださったら珈琲とお菓子でほっとしたり、のんびりくつろげたり、昼寝もできたり、静けさや風や水を感じながら、自分のやりがいを思い出せるようなそんな場を、リアルとネットどちらにも作っていく。
それが今の私の志からのやりがい、目標になっています。
そんな志のお話を書いてみました。
お読みいただきまして、ありがとうございました。