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最近、ずっと怒っている。

外に出ると他人とすれ違う。喫茶店に行けば話している声が聞こえるし、スーパーに行けばカゴがぶつかることもある。
ぶつかっても何も言わない通行人、愚痴ばかりを言い合う客や店員に向かって一方的に話し続ける客、「すみません」と言っても無視する人。

最近、こんな些細なことに苛立つ。

「苛立っていたことに気づいた」と書く方がいいかもしれない。今までもこんなふうに怒っていたのに、気付いてなかったのだ。
人に対して「どうしてこんなことすんの!?」とか言って怒ることはほとんどない。数年に一回、すごく怒るときがあるが、それにはそれなりの理由がある。

しかし、日々の苛立ちは些細なことだ。自分でも「そんなに怒らなくてもいいのに」と思うし、怒らずに済むならその方がいい。
そう思っているのに、すぐにイラっとして嫌な気持ちになる。苛立ちと不快感はセットだから、嫌な気持ちが先かもしれないが。

自分も同じようなことをやっているかもしれないし、これからやるかもしれない。何でもないと思っていることが、他人には苛立つのに十分なことかもしれない。

そういうことは分かっているけれど、反射的にイラっとしてしまう。だから、最近は人の多いところにいたくないと思うようになってきた。他人が多いと苛立つ要因が増える。

いろんなことを上手く無視出来たら、こんなに怒ることもないんだろうけど、そういう器用なことはできない。怒りが蓄積している感じではないけど、それも気づいてないだけかもしれない。

「自分が平穏でいられるように振る舞ってほしい」という気持ちがいつも叶わないから怒ってしまうわけだが、そんなふうに他人をコントロールしようとするのには無理がある。

それも知っている。けれど、苛立つことをやめられない。

コントロールしたいという欲求は、今だけでなく、過去にも求めている。
過ぎたことを後悔しては、「あのとき、こうしておけば良かった」とか「こうするべきだった」と考える。そして、同時に「どうしてこんなことをされないといけないのか?」という気持ちを思い出す。

要求に応えたのに、どうしてこんな扱いをされるのか。
こんなに頑張ったのに、これ以上どうしろというのか。
何もしてないのに、なぜ殴られるのか。

そういうものを思い出す。タイムスリップできたなら、状況を打破するようなことができるのに、今ならできるのに、過去は変わらない。

ずっと声にも言葉にもせずに、飲み込んだ怒りがあったのだ。それが、どういうことか、今になって蘇ってきた。
日々の小さな苛立ちと共に、淀んだ怒りの輪郭が見え始めた。

怒っている理由は、過去が変わらないのだから、これからもずっと変わらない。どこかで、成仏させてあげないと永遠と続くだろう。

過ぎたことは変わらないのだから、どうしようもない。後悔しようが、怒ろうが何も変わらない。気にせず、さっさと忘れてしまうのがいいだろう。

読んでいる人はそう思うかもしれない。僕もそう思う。分かってるんだけどな。

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夢乃くらげ
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