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違和感こそ、最大の❝自我❞かも



🔽違和感からはじまるイメージ

私は普段
学校などで「起業の知識やエピソード」や「自分らしい働き方」
もっというと、「自分なりの尺度(美意識・感性・体験)の重要性」をテーマに、キャリア講演させていただくことが多く
日頃から、この2つにフォーカスして自身でも探究をしています。

そんな中で、2021年ごろからこんなマイテーマが。

それは、❝違和感を持つことの大切さ❞。

当たり前を疑い、興味を持ち、色んな軸や角度から物事をみるという事。
違和感こそ、自我なんじゃないか?と考えています。

🔽口に出せないから、消されていく種

自分の違和感やちょっとした疑問を、言葉や何かしらの方法で表現をするのって、歳を取るほど勇気がいる事だと感じます。

でも、その視点は新しい発見や互いの感性の違いによるおもしろさを与えてくれ、すごく大切な事のような気がするんです。

しかしどうでしょう。学校や社会では、その力を伸ばすことはかなり難しいのではないでしょうか?
特に、探究学習の中で「生徒のマイテーマ設定」の壁打ちをする際に強く感じます。

🔽だから、トレーニングと場づくり

「ちょっとおかしくない?私だけ?」
「なんかそれってモヤモヤするんだよな・・・」
「そういえば、そもそもなんでなんだろう?」

普段はあえて言わずに、与えられた答えをインプットし、与えられた問いについて考える。
でも、探究の場では「自分で自分の興味や問いをみつける」という事がなされています。

赤ちゃんの頃は、当たり前にやっていた事を思い出すトレーニングなのかもしれませんし
キャリアや結婚子育て、人間関係など、身の回りの多くのことは沢山の知見はあれど状況や解釈、そして答えは「十人十色」
自らの人生をよりよく描くトレーニングでもあるのかもしれません。

私は、昔から花や虫をみると「なにこれ?」とよく親に聞く子どもで
最終的には図鑑を買ってもらい、自分で調べるように。

🔽儀式は、思想世界から現実世界へ落とし込む為のメタファーでありスイッチ

少し話は変わって、世の中には「なんとなくわかるんだけど、形がないから見えない」って物事が多くないですか?

例えば、成人や卒業、思いやりや感謝、約束・・・などなど。

ある漫画で、儀式について語られていて
「霊の世界は形のない物質じゃない世界だから心が重要だけど、私たちの世界は形のある物質の世界だから、示したい心を表す具体的な行動(形)が必要なんだ」
というセリフがありました。

これまで、私たちは目には見えないものを形にする為に「現物資産」や「儀式」に形を変え、より「五感を使った体感」をもって「納得感」を生んでいたのでは?と感じました。

示したい心を表す具体的な行動(形)は、時に区切りやマインドセットなど、スイッチとしての機能も果たすと考えられます。

🔽抽象化のための具体化

具体的な行動(形)にするには、でたらめな再現では「納得感」は薄くなるでしょう。今となっては起源が不明だったり形骸化しているものもありますが、多くは、それぞれに意味が込められている儀式がほとんどです。

つまり、示したい心を表し、意味づけるメタファーでないといけない。
それに必要なのは「抽象化」です。

具体抽象の往復、とはよく聞きますが、最近はっとした出来事があります。

ある会の理念や存在価値について議論していた際、とある方がいいました。
「物事の真の姿をみるには、まず目の前の姿をよく見て知ること。するとおのずと真の姿が見えてきて、自分事になる」
何が言いたいかというと、抽象化にはまず具体化が必要だと改めて気づかされたのです。

🔽お互いに学ぶ、リスペクトの姿勢があるから始まる

❝まず問う事から。❞
ここまで書いてみて、そんな言葉が浮かんできました。

探究学習のメンターとしては、「よい問い」をすることが求められますが、もう一つ、メンター側の柔らかさもカギかなと感じます。

ただ興味をもって、子どもだからとかじゃなく相手に向き合い、言いも悪いもなく受け取る。そして、こうすべきとかではなく、自分の正しさから時に離れて、柔らかい頭で一緒に考える。

せめて、自分の身の回りでは「ただ気になる」や「答えが出ない出来事による摩擦、衝突」を悪者にせずやっていけるといいなと思っています。

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