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蜘蛛の熱演

 子供の大きさくらいの蜘蛛が、壇上のカーテンに絡みついていた。長い脚を伸ばし、長い縦長の体に黄色と黒の縞模様が見えていた。私は左側の席で前から三列目くらいで、その蜘蛛の大きさに声も出なくなっていた。
 朝から学芸会の催しが続いていて、誰もカーテンの後ろにそんな大きな蜘蛛が隠れているとは思わなかった。屋外の舞台なので、蜘蛛が絡まっている薄緑のカーテンも風で舞ったりしていた。
 皆、学芸会はそっちのけで大蜘蛛の動きを注視していた。舞台の上の子らは立ち止まったまま動かなくなっていた。最後に知らずに近づいてしまった子は驚いた姿勢のままになっていた。観客の大人達も我を忘れて見入っていた。
 学校の総務係の若者が消火器をもって壇上に上った。彼は大蜘蛛の背中に向かって消化液を噴射した。これで終わるだろう。きっと柔らかく溶けてしまって床に落ちて死んでいくだろう。皆期待して見ていた。白い泡にまみれた黒い塊に向かって、若者は何度も噴射を試みた。こんな怖い生き物は確実にやっつけなければならない。
 大蜘蛛が泡を垂らしながら脚を交互に動かして、カーテンを右から左に伝って移動した。観客はざわめいた。壇上の子供らはもう誰もいなかった。先生が腰をかがめて蜘蛛に気が付かれないように避難させたのだ。
 消火器が役に立たないとみるや、総務の中年男が別の噴射器を担いで舞台に上がった。その噴射の勢いはすさまじく、若者はその圧力で蜘蛛の方まで跳ね飛ばされ、その弾力で跳ね返されて後ろ向きに倒れた。男はお構いなしに噴射を続け、それが蜘蛛に当たると、そいつは飛ばされまいとカーテンに抱き着き、ぐるぐると回りだした。
 倒れた若者は壇上から這ってきて、観客席の手前で頭から落ちた。大きなマスクを取ると、赤黒い顔になっていて、噴射の薬液が毒物であることが分かった。彼に見覚えがあったが名前が思い出せなかった。
 蜘蛛はしばらくカーテンとともに回っていたが、反動で逆回転をしはじめ、それも終わると、徐々に落ちてきて、カーテンの端を掴んでまま脚をすぼめて静止した。男は、とどめを刺すために近寄り、噴射器のホースの先をそいつの腹の隙間に差し込み、噴射スイッチを押した。
 ぎゅぎゅっといったビニールに物を詰め込むような音がして、大蜘蛛は膨れ上がり、それにつれて閉じていた八本の細長い脚が花が咲くように広がっていった。中年男はホースの先が抜けなくなったようで思い切り引っ張ると、煙のようなものが蜘蛛の腹から噴き出した。その煙は、黄色い縞模様が円盤状に広がった体の上を花粉のように舞い散った。しばらくして、曇った視界がおさまると、そこには、大きく枯れたヒマワリの花が現れた。
 中年男は目に汗が入ったようで方向感覚を失い、壇上でしりもちをついた。観客席から失笑があり、彼はすぐに立ち上がってダンボールでできた舞台の袖にとびこみ、横からその巨大な物体を見つめていた。もはや大蜘蛛は姿を変えてしまい、植物のように呼吸をしていなかった。
 我々はほっとして拍手をした。周囲に数名しかいないと思っていたら、後ろの席までぎっしりと観客がいて、大勢の拍手が鳴りやまなかった。


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