私が抱えている"死にたい気持ち"と、その時期について
私が自分の死について、初めて考えたのは高校生の時です。
当時の私は進学校の落ちこぼれで、完全に悪循環に陥っていました。一度落ちこぼれてしまうと、這い上がるのはかなり大変というか無理に近い。
授業についていけない、学校苦手、成績さらに悪化、親に怒られる、親子関係悪化、家帰りたくない、家にも学校にも居場所がなくなる。
精神崩壊、学校行くだけで精一杯、勉強する気力がない、成績悪化、親子関係悪化、成績悪化、親子関係悪化のエンドレス。
そんな時に、現状から逃れるには死ぬ以外の方法がないかもという思いが生まれました。高校2年生の半ばくらいだったと思います。
高校はなんとか3年で卒業出来そうだったけど、大学(専門)に受からなければもちろん大学生(専門学生)にはなれません。
当時は大学生になれる見込みがありませんでした。
あと、当時の担任は優秀な生徒へのエコ贔屓がすごく、出来の悪い私はパワハラもどきを受けていました。
遺書書いて死ぬくらいしか、担任を成敗する方法を思いつかなかったというのもあります。
死ぬくらいなら大学なんて行かなくてもいい。
親と縁切って家飛び出すとか、死ぬ以外に方法がたくさんあることは分かっていたし、本気で死ぬ気はなかったです。
本当に死ぬ気はなかった。(2回目)
でも、当時の私は親の扶養下で、お金を稼ぐ手段もなく、社会人のような自由もなく、誰にも頼れませんでした。
そして、24歳の今より知ってる世界も視野も狭かったし、東京も海外も知らなかった。
鬱までは行ってなかったのかもしれないけど、自分の心と身体が完全におかしい自覚もありました。これについてはまた別記事で書きます。
そんなこんなで「死にたくないけど死ぬしか方法がないかも」という思いを持ってしまっていたけど、「死にたい」とは思っていなかったし、夢見る未来もありました。
そして社会人2年目の今、死にたい気持ちを抱えています。今回はそのままの「死にたい」です。
思うようになったのは年明け位からかなと思いますが、正確な時期は覚えていません。
過去記事を見ていただきたいのですが、死ねないことは分かっているし、本当に死ぬ気はないです。
何度も言うけど、死ぬ気はないです。死ぬくらいなら他に手段があることは分かっています。
私にあるのは希死念慮(死を願う気持ちだが自殺までは考えていない)というもの。
自殺願望は全くありません。
生きてるのがしんどい。だから死にたくなる。今こうなってる理由は仕事で、理由は明確です。
親とも上手く行ってないですが、これはもうどうするつもりもないし、実家を出て物理的な距離を保てればまあ解決です。
この先目標としてる仕事に転職出来るなら、結婚も出産も出来なくてもいいし、普通に生きていきたいと思っています。
でも、仕事がこのままでは生きてる意味は本当にない。本気で死にたい。
労基や警察に相談したこともある(1年目)し、私に出来る手は全て尽くしています。
その上で、自分が辞めて離れることで今の悩みを解決しようと決めた。
2日に1回は今日こそ無理かもって思うし、いつ行けなくなるか分からないから、私物は一切職場に置いて帰らない。
ボイスレコーダーで録音したこともあるし、自分が強くなることで1年4ヶ月自分の心を守って来ました。
もう、仕事にやりがいや目標を感じられる感じられないとか、そういう次元じゃないんです。
私は意識高い系では全くないし、仕事に生きがいを見出したいタイプでもありません。
お金持ちになりたいとも思わないし、まあまあそこそこに働きたい方です。
今の仕事で、具体的にどう悩んでいるかはまだ言いたくないけど、ただの甘えではないことは何となく分かって頂けるとうれしいです。
私の「死にたい」は、本当は生きたい。環境を変えて、幸せに生きたい。
私は死にたい死にたいばっかり言ってるけど、死ぬ気は全然なくて、100まで生きる気満々です。自分が死ぬ想像がつきません。
ただ単に、今の仕事がしんどくてたまらないんです。職場環境が非常に悪く、そして先が見えない。
私にとっての普通と職場内の普通があまりにもかけ離れていて、私は心を押し殺して働いています。
毎日疲れ果てていて、HPが0.1くらいしか残ってなくて、死ぬ気なんてないのに死にたいと思ってしまう。
心が折れそうになるんです。そして病んでヘラるとメンヘラ記事あげてしまう。
私の「生きてる意味が分からない」は、詳しく言い換えると「この状態がずっと続くなら生きてる意味が分からない」です。
私の死にたいは、明確な理由があって現れています。疲れて心が折れると現れるんです。
この先転職出来た時にこの死にたい気持ちがスッと消えるのか、彼氏や家族が出来た時に幸せだと思うのか、生まれてきて良かったと思えるのか。
これはその時になってみないと分からないことだと思います。だから、その時になれるように頑張りたい。
小学生の時も中学生の時も、それなりに辛いことはありました。大学だって結構色々あった。
毎日ただ楽しく生きていただけではないけど、小中高大で死にたいと思う気持ちはありませんでした。
高校時代の「死にたくないけど死ぬしか方法がないかも」という思いは、大学進学と同時に自然と消えてくれた。
そして、今感じている死にたいと、高校生の時に感じていた気持ちは別物です。
これは私の考えだけど、人間(動物)は本来、死にたいという気持ちは持ち合わせないものだと思っています。
死にたくないし、殺されそうになったら逃げるのが動物の本能だと思う。お腹が空いたら食べるのも本能。
動物が死にたい食べたくないと感じるようになったら、それは何らかの外的要因によって心と身体が弱ってるということ。
理由なく死にたい気持ちを抱える人もいるみたいだけど、根底を見つめ直した時に何も見つからないってことはないんじゃないかなと思います。
ストレス耐性も人それぞれだから、周りの人から見たら小さなことがその人にとっては大きいストレスなこともある。
自分では気付かないストレスや、小さなストレスの積み重ねの場合もあると思う。
私はいざとなったら休むつもりです。傷病手当金貰いながら、休もうと思っています。
死ぬくらいなら仕事辞めたっていいと思うけど、この先の人生のこともある。だからとりあえず休むを私は勧めたいです。
休んでから辞めるか辞めないかを考えたっていいし、その期間中に転職活動や資格の勉強をしたっていい。
私は職場の敷地を一歩出たら仕事に関することは全て忘れることにしています。家には仕事に関するものを持ち込まない。
ストレス発散方法は人それぞれだと思うけど、私は愚痴ることはあまりなくて、基本的に全て忘れることで解決するタイプです。なかったことにしたい。
ちょっとしたことですぐ傷ついてしまうけど、忘れるのも早い。鍛えられて段々そうなりました。
だから大丈夫です。大丈夫じゃないけど、まあ大丈夫です。
今回この記事を書いたのは、過去記事の抽象的な表現を反省したからです。
私の心の内をそのまま書いて投稿してしまったけど、初めて読んだ人からしたら分からないことだらけだなと思って。
「ずっと死にたい気持ちがある」も、ずっとって具体的にいつから?って話だし、小中高大社会人のずっとだと思わせてしまった方いたら申し訳ないです。
私は自分が生きてるのか死んでるのかよく分からなくなるし、よく病むし、よくヘラります。でも基本は元気です。
皆さんの生死感もお聞きしたいし(スキします)、何か疑問点あれば質問頂けたら(答えます)と思います。コメント欄か質問箱に。
お互い頑張ろうね。