懺悔
マクドでSサイズのコーヒーを片手に凍える海岸で三角座りをしながら対岸の工場地帯を眺める。
今日はたまたまポテトが全サイズ150円だったから、帰って食べようと思いL サイズを買った。
たまに、僕と同じように海辺の端っこに座りながらぼーっとしてる人がいる。
なんかいいなーと思って声をかけようか迷う。
きっとお互い声をかけようか悩んでいる。
少し気にしながら、どっちが先に帰るか耐久レースが始まる。
僕は冷え性だから大体すぐにギブアップして帰る。
今日もそんな日常を送って家に帰ってきた。
外でぼーっとしたせいで買ったポテトは塩でしなしなになっていた。
でも実はそんなポテトが好きだったりする。
ポテトを食べながら、今日は何の記事を書こうかなと考える。
そーいえば、今日くらいでユーマゼミを始めて半年が経った。
今日はそんな記事を書こう。
そう思って、ポテトの塩がついた指を舐めてキーボードに手をおいた。
僕がユーマゼミを始めた理由は色々あったけど、そのうちひとつは贖罪の意識があった。
自分に圧倒的に足りてないものは?
僕にとっては考える必要なく”続ける事”だった。
言い訳をするわけじゃないが、僕も続けることができなかった理由がある。
僕は幼稚園、小学校、中学校、高校と全部2個づつ通ってきた。
中学・高校に関しては転勤が理由じゃなかったが、要は学校でさえ最初から最後まで同じところにいたことがない。
環境がいちいち変わっていく僕が身につけた能力は、”効率的に勝つ能力”だった。
いい例が陸上で、僕は陸上を通して継続力の壁にぶち当たった。
僕が陸上を始めたのは中学3年の時で、転校してたまたま転校前から知っていた友達が入っていた陸上部に入部した。
自分の専門種目を決める時、最初に砲丸投げを試してみた。
陸上競技の中で一歩も走らなくてもいいから砲丸投げを選んだけど、僕には重すぎた。
その次に、友達がやっていた走り幅跳びをやってみた。
助走に30mも走らないと行けなくて、飛ぶまでに息が切れたし、着地で砂が入るから気持ち悪くてやめた。
30mでさえめんどくさかった僕に残されたのは”走り高飛び”だけだった。
中学の時試合に出てみるも、まぁ飛べない。
でも普通の靴で試合に出るのが嫌で、親に高校でも陸上を続ける約束でスパイクを買ってもらった。
全中予選は一回も飛べずに中学の試合は終了。
親と約束してしまったから、高校でも陸上を始めることに。
どうせやるなら1位を目指してやろう。
僕は毎日の食事や睡眠時間、体調や練習メニューなんかを自分で考えて、ノートに記録していた。
そしたら、1年間で大阪6位にまでなった。
うん。頑張った。
結果から言うと、高校3年間僕はずっと大阪で6番だった。
僕より強い人たちの内3人は同い年だった。最初先輩に2人強い人がいたけど、引退して、僕が4位になると思ったら、後輩の2人が僕よりも強かった。
僕より強かったみんなに共通していたのは、全員小学校から走り高跳びをやっていたことだ。
僕は最後まで勝てなかった。
もちろんみんな全国レベルで強かったのもあるけど、高校から始めた僕は3年間一度も追いつけなかった。
僕が記録を伸ばしても彼らも記録を伸ばす。
ずっと悔しかったけど、その悔しさをおかげで大阪代表選手に選んでもらえたから感謝してる。
その時わかったのは、継続力に勝る力はないということだ。
そこには数字では大した差じゃなくても、圧倒的な経験差があると感じた。
だから、高校卒業したら陸上をやめた。
大学に入ってみていろんなことをやった。
自分でも色々やったなーと思うくらい色々やった。
色々やったと言うことは、色々やめてきた。
結局僕はやればやるほど、継続力という最も大事な力を育ててこなかった。
自分では継続力が最も大事とわかっていながら、やめてきた。
続けたいと思えることに出会うまで、新しいことを始めてはやめてきた。
でも、一年くらい前にようやく”僕は一生あっても一生続けたいと思うものには出会わない”ことに気がついた。
どーしても生きてると面白いことが目の前に降りてくる。新しいものというのは無条件に面白く見える。そんな面白いことを始めて、ある程度成功して、飽きてやめる。
何で僕が飽きてしまうのかというと、それは僕が効率的に強くなる能力を持っていたというより、もうひとつの能力のせいだと思う。
それは”他人の経験を自分の経験のように置き換えられる能力”だ。
自分は経験したこともないのに、あたかも
あれはめちゃくちゃきつい。あれはやばい。なんて話す。
たちが悪かったのは、僕は本当に自分が経験したかのような錯覚に陥っていた。
だから、話すことや考えていることが実力以上のものになっていた。
大学に入っていろんなことをすればするほど、見せかけの自分と中身の自分のギャップが開いていった。
自分には何ができるんだ?
人間が考えられる能力の中で、もっとも強く、美しい、他とは一線を画す能力は”継続力”だと思っている僕にとって、継続できない自分は、他にどんな能力を持っていたって、継続している人には叶わないと悟っていた。
だからこそ、僕に何ができるのか?と問われた時に、自分に自信が持てなかった。
よく人に言われるのは、ユーマが求めているものは高すぎる。なんて言われるが、僕はそんなことひとかけらも思わない。
人にはそれぞれの価値観や考え方がある。
僕には継続力こそが美しく思えて、自分にできることなんて自分より年上なら誰でもできるなんて思っている。
だからこそ僕は貪欲に生きていられる。
これが正しいとか正しくないではなく、僕の生き方なんだと思う。
話が少しそれたが、僕は社会に出る前に”継続力”に自信を持ちたかった。
そのために色々考えた。
例えば、早寝早起き。筋トレ。バイト。何でもよかった。
でも、僕は自分がどういう状況なら続けるのか、また続けないのか想像できていた。
僕にとってのキーワードは”責任”だった。
その行為に責任がなければ僕の思考はこう展開される。
責任がない→やめても支障が出ない→ある程度成果が出て飽きたらやめよう
こんな風に僕なら考えることがこれまでの僕から分かっていた。
だから僕は自分に負荷を与えることにした。
それが、”巻き込み”だ。
APU(立命館アジア太平洋大学)を含め、日本中の大学は全て同じだと思うが、誰かが何かをやめても対して騒ぎにはならない。
やめることが大学生の特権という風潮がある。
僕もそれは本当にそうだと思う。
僕自身、色々やって、色々やめてきた。
これは社会では自分の信頼を落とすかもしれないが、大学という場ではやめたという事象より、始めたという事象の方が重きをおかれ、色々やって、色々やめると、残るのは色々やってきた人ということになる。
僕はこの風潮のおかげである程度の信頼と知名度を得たのだが、半年前僕はあえて自分に逆の環境であると思い込ませた。
つまり、これから何かを始めると、始めた責任、巻き込んだ責任が生じる。やめたら僕のAPUでの信頼はゼロになる。
そう思い込んだ。
結果僕が選んだのは記事を書くということだった。
そして一番最初の記事を友達にシェアしてもらうことだった。
結果授業中に書き始めた僕の記事は翌日には500人を超える在校生が読んでいた。
計画通りだ。
500人の5分を僕は使った。
2500分つまり、42時間、つまり約2日の時間を巻き込んだのだ。
これはやめるわけにはいかない。
そうやって自分を追い込んでいった。
しかし、追い込みすぎると途中でパンクすることもわかっていたので、自分にひとつ余裕を設けることにした。
それが記事の公開頻度だ。
毎日というのは本当にしんどい。
生きることすべてがネタ探しになる。
それがどれだけ窮屈なことか、過去のYouTubeで知っていた。
だから、公開頻度を2,3日くらいに一回の投稿にした。
そうすることで自分の精神状態を健康に保った。
途中で、APUの学長である出口治明氏を始めいろんな影響力のある大人のかたを巻き込んだ。
結果こうして半年を迎えることができた。
最近、ユーマの本当のすごさって継続力ですよね。
なんて言ってくれる人が増えたけど、そんな人に向けてこの文章を書いている。
継続力がないから、こうして継続しているんだ。
なんというか、これまでの自分の人生に対する懺悔に近いんだ。
こんな動機で始めた僕のユーマゼミ。
半年が経った今、義務感や責任感で始めたものが趣味になってきた。
学校からの帰り道、今日の話題は何かなと献立のように考え、思いつかなかったら、昨日書いたし今日はいっかと言い訳をし自分のインプットを増やす。
3日目にはさすがに書かないとやばいな、と思い学校でも考え出す。
そんな時、誰かが食堂や図書館で僕に話しかけてくれる。
そんな日常に記事のヒントが埋まっている。
今の僕にとってユーマゼミは人生を楽しませてくれるものになってきた。
こんなことを書くのに没頭していて、せっかく買ったLサイズのポテトをSサイズ分残していたのを忘れてしまっていた。
タバコ代わりに口に加えて最後締めくくろうと思う。
たった半年、65記事しか書いていないが、それ以上の満足感を得られているのは単衣に読者の皆さんのおかげです。
僕が投稿する記事に最初はライクが1個や2個でした。
そんな記事が今では30や40に増えてきて、読まれる回数も少しづつ増えてきました。
最近僕がはまっているグループがあります。
TWICEというのですが、彼女らはファンのみなさんのことをOnceと呼んでいたりします。同じように防弾少年団(BTS)のファンはArmyと呼ばれているみたいです。
ということは、私ユーマゼミのファンの皆さんは”ゼミメン”ということでよろしいでしょうか?
毎度毎度ゼミメンの皆さんが記事を読んでくれていて、感想を僕と会った時に話してくれたり、勇気を出して初対面の僕に「ユーマゼミ書いてる人ですか?」なんて言っていただきありがとうございます。
これからも楽しんでやっていこうと思うので、みなさん応援よろしくお願いいたします。
今日は最初にいつものセリフをつけていないの気づきましたか?
それでは最後に皆さんご一緒に、
はいどーも、ユーマでした